陰陽(おんみょう)道から呪術や占術の領域を除いた部分――自然哲学的な部分――つまり、陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)思想――について考えるときに――
僕が常に思い浮かべる問いがあります。
それは、
――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせなのか。
という問いです。
……
……
おそらく――
現代自然科学では、
――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせである。
ということが前提になっています。
少なくとも、
――複雑な仕組みの単純な組み合わせ――
ということが前提にはなっていない――
おそらく、
――複雑な仕組みの複雑な組み合わせ――
ということも前提にはなっていません。
あくまでも、
――素になっている仕組みは単純に違いない。
という信念が基本になっている――
が――
その“単純な仕組み”が本当の意味で複雑に組み合わさっているのかと問われれば――
疑問の余地が残ります。
ここでいう、
――複雑に――
というのは、通常、
――電算機(computer)でないと解き明かせない――
くらいの意味です。
つまり――
その組み合わせの解明には膨大な機械的処理が必要であるけれども、しょせんは機械的処理で片が付く、という意味では、実は、
――単純に――
なのではないのか――
ということは――
自然は、一見、
――単純な仕組みの複雑な組み合わせ――
の思えるけれども――
実は、
――単純な仕組みの単純な組み合わせ――
なのではないか――
要するに、
――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせなのか。
という問いは、
――自然は実は単純な仕組みの単純な組み合わせではないのか。
という問いでもあるのです。