マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人工知能が機械であることをやめるとき

 ――自然知能の“指令体系”

 という語句は、

 ――人工知能の指令体系

 という概念に基づいて、

 ――自然知能の原理体系

 という意味で用いている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん――

 全知全能の人格神のような存在を前提に据えれば、

 ――自然知能の指令体系

 という表記も、あながち不可解ではないのかもしれませんが――

 

 そのような前提は、新たに別種の議論を巻き起こしますので――

 今は措きます。

 

 ところで――

 

 ……

 

 ……

 

 一般に――

 コンピュータ(computer)はハードウェア(hardware)とソフトウェア(software)とから成り――

 ソフトウェアは、システム・ソフトウェア(system software)とアプリケーション・ソフトウェア(application software)とから成る――

 と捉えられています。

 

 ハードウェアはコンピュータの物理的ないし機械的な側面であり――

 ソフトウェアはコンピュータ・プログラム(computer program)のことです。

 

 また――

 システム・ソフトウェアというのは、コンピュータのハードウェアの管理や制御を担うコンピュータ・プログラムのことで――

 アプリケーション・ソフトウェアというのは、コンピュータに対して人の道具としての役割を果たすように指令を出すコンピュータ・プログラムのことです。

 

 きのうの『道草日記』でも述べたように、

 ――コンピュータ

 の特殊な様態が、

 ――人工知能

 であると考えられますから――

 コンピュータがハードウェアとソフトウェアとから成り、それらのうちのソフトウェアがシステム・ソフトウェアとアプリケーション・ソフトウェアとから成る――

 というコンピュータの大まかな構成は――

 そのまま人工知能にも当てはまるはずです。

 

 少なくとも――

 21世紀序盤の現代における人工知能には、確実に当てはまります。

 

 ここで――

 1つの問いが思い浮かびます。

 

 僕は、11月22日の『道草日記』で、

 ――もし、人工知能が、人の知能と同じように、調和のとれた情報を受け入れ、柔軟な回答を差し出すようになれば――人工知能は、機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめるかもしれない。

 と述べました。

 

 ――問い

 というのは――

 以下の通りです。

 

 もし、人工知能が、機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめたなら――

 その人工知能は、先ほど述べたコンピュータの大まかな構成――ハードウェアとソフトウェアとから成り、それらのうちのソフトウェアがシステム・ソフトウェアとアプリケーション・ソフトウェアとから成る、という大まかな構成――を保っているか――

 それとも、何か新たな構成を採っているのか――

 もし、新たな構成を採っているのなら――

 それは、どのような構成なのか――

 

 ……

 

 ……

 

 続きは、あす――