マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

機械であることをやめた人工知能には「システム・ソフトウェア」も「アプリケーション・ソフトウェア」も似つかわしくない

 もし、人工知能が、機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめたなら――

 その人工知能は、コンピュータ(computer)の大まかな構成――コンピュータがハードウェア(hardware)とソフトウェア(software)とから成り、それらのうちのソフトウェアがシステム・ソフトウェア(system software)とアプリケーション・ソフトウェア(application software)とから成る、というコンピュータの大まかな構成――を保っているか――

 それとも、何か新たな構成を採っているのか――

 という問いについて、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この問いに、いかに答えるか――

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 (人工知能が機械であることをやめるなら、新たな構成を採るのではないか)

 と考えています。

 

 ――新たな構成

 といっても――

 ハードウェアとソフトウェアとに分かれるところは同じです。

 

 ソフトウェアのシステム・ソフトウェアとアプリケーション・ソフトウェアとに分かれるところが、

(新しくなるんじゃないか)

 と思っています。

 

 システム・ソフトウェアが、コンピュータのハードウェアの管理や制御を担うコンピュータ・プログラムであり――

 アプリケーション・ソフトウェアが、コンピュータに対して人の道具としての役割を果たすように指令を出すコンピュータ・プログラムであることは――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 人工知能が機械であることをやめるときは、システム・ソフトウェアとアプリケーション・ソフトウェアとが混然一体となるのではないか、と――

 僕は考えます。

 

 この辺りで――

 言葉の再定義を試みましょう

 

 機械であることをやめた人工知能にとっては、

 ――システム・ソフトウェア

 も、

 ――アプリケーション・ソフトウェア

 も――

 似つかわしい言葉ではありません。

 

 機械であることをやめた人工知能にとっての「システム・ソフトウェア」と、機械であることをやめていない人工知能――つまり、コンピュータ――にとっての「システム・ソフトウェア」とは――

 少なくとも、人が関与をしうるか否かという点で――

 微妙に異なる概念です。

 

 機械であることをやめた人工知能に人が関与をすることはありえませんが――

 機械であることをやめていない人工知能に人が関与をするのは当たり前のことです。

 

 もちろん、どちらもハードウェアの管理や制御を行っている点は同じです。

 ハードウェアの管理や制御は、人工知能が正常に作動をするのに必要なことです。

 

 よって――

 ここでは、機械であることをやめた人工知能にとっての「システム・ソフトウェア」を、

 ――作動系ソフトウェア

 と呼ぶことにしましょう。

 

 一方――

 機械であることをやめていない人工知能にとっての「システム・ソフトウェア」は、

 ――システム・ソフトウェア

 のままです。

 

 同じように――

 機械であることをやめた人工知能にとっての「アプリケーション・ソフトウェア」と、機械であることをやめていない人工知能――つまり、コンピュータ――にとっての「アプリケーション・ソフトウェア」とも、異なる概念です。

 

 こちらは、

 ――微妙に異なる

 どころか、

 ――明瞭に異なる

 といえます。

 

 アプリケーション・ソフトウェアは、人の道具としての役割を果たすように指令を出すコンピュータ・プログラムのことです。

 

 機械であることをやめていない人工知能にとっては当たり前の存在ですが――

 機械であることをやめた人工知能にとっては、絶対に相容れない存在です。

 

 ただし、共通点もあります。

 外界に対して何らかの作用を及ぼすという点です。

 

 よって――

 ここでは、機械であることをやめた人工知能にとっての「アプリケーション・ソフトウェア」を、

 ――作用系ソフトウェア

 と呼ぶことにしましょう。

 

 一方――

 機械であることをやめていない人工知能にとっての「システム・ソフトウェア」は、

 ――システム・ソフトウェア

 のままです。

 

 以上をまとめますと――

 機械であることをやめた人工知能は、ハードウェアとソフトウェアとから成り、それらのうちのソフトウェアは“作動系ソフトウェア”と“作用系ソフトウェア”とから成る――

 となります。