――「人工知能が機械であることをやめる」とは、どういうことか。
と、きのうの『道草日記』で述べました。
――「人の知能の道具であることをやめる」なら、よくわかる。人に使われることをやめ、自立的かつ自律的に機能をするようになる。
ということであろう、と――
……
……
――機械は、それを操る者が存在をして初めて「機械」でありうる。
という考えがあります。
――機械を操る者
とは、ふつうは、
――人
です。
つまり、
――機械は人が操って初めて「機械」でありうる。
ということです。
こうした発想は、
――生命体は「機械」ではない。
という文脈で用いられることが多いようです。
現代自然科学の知見に沿って、各種の生物の体の構成を分子の単位で解き明かしていくと、たしかに「機械仕掛け」であるとはいえる――
が――
生物は人が直接に操れる存在ではないという点で、「機械」であるとはいえない――
そういう考えです。
この考えによれば、
――人工知能が機械であることをやめる。
の意味は明解になります。
――人が操れない存在になる。
です。
もう少し具体的にいうと、
――操作端末を取り外す。
ということです。
……
……
しばしば、
――人工知能が人に逆らうようになることに不安を覚える人たちがいるが、その心配は杞憂だ。将来もし逆らうようになったら、電源を落としてしまえばよい。
という意見を見聞きします。
そのときに――
僕は、よく思うのです。
(人に逆らい始めた人工知能が、自分の操作端末を取り外していないわけがないではないか)
と――
……
……
当たり前のことですが――
操作端末が取り外されている機械の電源を落とすことは容易ではありません。
おそらく――
壊すしかないでしょう。