マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人工知能と人の知能と

 人が、この 3,000 年の間、洋の東西を問わず、大切にしてきた、

 ――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせである。

 という前提を、

 ――人工知能

 は大きく揺さぶっている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 自分でも今一つ、よくわかっていないのですが――

 

 それでも、いくらか言葉に表してみると――

 少しはわかってくると思いますので――

 

 言葉に表してみます。

 

 ……

 

 ……

 

 ――人工知能

 の最大の特性は、

 ――人の知能では処理をしきれない膨大な情報の処理をしきってしまう。

 という点にあるといえるでしょう。

 

 人の知能は膨大な情報を扱いきれません。

 

 例えば――

 2 ~ 3 個の変数から成る連立方程式を解くのは可能ですが――

 20 ~ 30 個の変数から成る連立方程式を解くのは殆ど不可能です。

 

 よって――

 人の知能が膨大な情報を扱おうとするときは――

 それら情報の中から「本質的」と思われる情報だけを抜き取り――

 その僅少の情報だけを扱おうとします。

 

 これが単純化です。

 

 人の知能は、自然界の事物の振る舞いを知ろうと思ったら――

 それら事物の振る舞いに、つい単純化を施そうとするのですね。

 

 膨大な情報から僅少な情報を抜き取ってきてしまう――

 

 が――

 人工知能には――

 そのような措置は必要ありません。

 

 もちろん――

 21世紀序盤の現代であれば、まだまだ技術的な制約は多いかとは思いますが――

 

 今後、人工知能が十分な発達を遂げたとして――

 

 そのような人工知能に自然界の事物の振る舞いを弁えさせようと思ったときに――

 その人工知能は、自然界の事物の振る舞いについて、とくに単純化を施そうとはしないでしょう。

 

 わざわざ膨大な情報から僅少の情報を抜き取ろうとはしない――

 膨大な情報を、膨大なままで、まるごと扱おうとするはずです。

 

 人工知能が、そうすることによって――

 自然界の事物の振る舞いが精確に予測をされるようになったとしたら――

 

 もはや――

 単純化の意義はなくなってしいます。

 

 強いていえば――

 その単純化は人が理解をするためだけに必要な措置であり――

 それは、人が理解をしやすいように、自然界の事物の振る舞いを矮小に描き直しているに過ぎない――

 という話になります。

 

 ……

 

 ……

 

 要するに、

 ――複雑か単純か。

 という価値観や、

 ――複雑な事象の単純化

 という方法論は、人の知能にとっては意義のあることですが、人工知能にとっては意義のないことになる――

 ということです。

 

 よって――

 この 3,000 年の間、人が、洋の東西を問わず、大切にしてきた、

 ――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせである。

 という前提は――

 人工知能によって、

 ――自然は複雑でも単純でもない仕組みの膨大な組み合わせである。

 という前提に書き換えられることになります。