マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

虫好きの姫は複雑性に興味を抱いていた

 現代の自然科学で、

 ――複雑

 といえば――

 普通は、

 ――複雑性(complexity)

 という多少なりとも定式化をされている概念を指します。

 

 今、

 ――多少なりとも定式化をされている――

 と述べましたが――

 実は、何をもって、

 ――複雑性

 と呼ぶかは、それを論じる学者によって、けっこう違っていて、

 ――定式化をされている――

 と断定的にみなすことには躊躇を覚えるのです。

 

 それでも――

 あえて最大公約数的な言い回しを試みるならば――

 

 ――複雑性

 とは、

 ――自然界の事物について、その事物を構成要素に分けて認識をし、それら構成要素の一つひとつの振る舞いから、その事物の全体の振る舞いを推し量る際に、その推量の難しさの程度に相当をする。

 となるでしょうか。

 

 複雑性は――

 生物学の領域などでは具体例に溢れています。

 

 例えば――

 幼虫の様子を日々、観察をしていて――

 その体が少しずつ大きくなっていき――

 やがて、体の形も変わっていき――

 とうとう蝶へと姿を変える――

 という例は、

 ――複雑性が高い。

 とみなせます。

 

 その際に――

 もし、幼虫の体が、指先の大きさから徐々に大きくなっていき、最終的には拳の大きさになった、という変化であれば――

 それは、構成要素の一つひとつから全体を推し量ることが容易であるので、

 ――複雑性は低い。

 とみなすことになります。

 

 9月21日の『道草日記』で――

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 の主人公・虫好きの姫が、

――蝶の本性は、その幼虫に秘められている。蝶を美しいと思うのなら、その幼虫にも関心を向けるのが自然である。

 と主張をしていることに触れました。

 

 この主張を現代の自然科学に基づいて捉え直すならば――

 虫好きの姫が真に興味を抱いていたのは、

 ――複雑性

 に他ならない――

 といってよいでしょう。

 

 幼虫は、少しずつ大きくなっていき、やがて幼虫と同じような形の成虫に育つのではありません。

 幼虫とは似ても似つかぬ蝶の形に姿を変えるのです。

 それは、現代の自然科学に観点では、

 ――複雑性の発露

 であり――

 その複雑性を内に秘めた不思議な存在こそが、幼虫なのです。