――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせである。
という前提は――
不思議なことに――
古今東西で殆ど共有をされている――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)思想や四元素説などに代表をされる古代の自然観も、運動方程式や元素周期表などの基本理解を踏まえて展開がされている現代自然科学の自然観も、
――自然は単純な仕組みの複雑な組み合わせ――
を前提にしているように――
少なくとも僕には思えます。
もちろん――
ここで「運動方程式」や「元素周期表」といったのは、たんなる言葉の綾でして――
適宜「重力場方程式」や「素粒子標準模型」といった言葉に置き換えて頂いても大意は変わりません。
この前提は、おそらくは 3,000 年くらいの間、洋の東西を問わず、殆どの学者・思想家たちによって共有をされてきたと僕は感じているのですが――
この 10 年くらいの間に――
この前提が大きく揺さぶられ始めているように思えるのです。
大きく揺さぶっている(と僕が思う)のは、
――人工知能
です。
人工知能によって膨大な情報処理が可能になった(ように思える)ことで――
これまでに用いられてきた、
――複雑
という言葉の意味が、少し変わってきているように僕には思えます。
以下――
かなり直感的に述べます。
この 3,000 年くらいの間に、人は、
――複雑
とは、
――単純
の反対であると考えてきました。
が――
実際には、
――複雑
とは、
――「単純」の膨大な組み合わせ
に過ぎないのではないのか――
これまでに用いられてきた、
――単純
という概念は、
――「単純」の僅少な組み合わせ
という概念ではなかったか――
つまり――
人工知能が示唆をしていることは、
――この世界では、実は「複雑」という概念は成り立ちえず、ただ「膨大な単純」という概念と「僅少の単純」という概念とだけが成り立ちうる。
ということではなかったか――
そういうことを思います。