マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

古典を読む意味

 古典を読む意味は何か――

 ときどき話題になりますね。

 

 僕は、

 ――人の一生の時間では解けない問題に向き合うため――

 と考えています。

 

 人の一生は高々 100 年くらい――

 

 それでも解ける問題――取り組みを十分に終えられる課題――というのは、人の世には数多く存在をしますが――

 でも、それだけではない――

 

 100 年では終わらない課題というのも、また――

 人の世には数多く存在をするのです。

 

 そのことに――

 古典を読まないと気づかない――

 

 ここでいう、

 ――古典

 とは、もちろん、高校の古文や漢文の授業で読む文章に限りません。

 

 洋の東西を問わず――

 100 年以上前から、人の世で読み継がれてきた文献の全てを指します。

 

 ……

 

 ……

 

 古典の中には――

 はっきりいえば、駄作もあります。

 

 正確にいうと、

 ――ある人にとっての“駄作”はある。

 です。

 

 ある人には名作でも、ある人にとっては“駄作”――

 

 つまり――

 他の人にとっては、貴重な問題提起がなされている普遍的な古典に感じられても――

 あなた自身にとっては、些事に囚われた取るに足らない古典に感じられる可能性は大いにあるのです。

 

 が、

 ――あらゆる人にとっての駄作

 というのはありえない――

 そういう駄作は原理上、古典とはなりえないからです。

 

 何か古典を読むときに、

 ――これは取るに足らない。

 と思ったら――

 その“駄作”が、なぜ今日まで読み継がれてきたのかを考えることです。

 

 その“駄作”を名作とみなし、今日まで伝えてきた人たちが、この世の中には一定の割合で存在をしてきました。

 その人たちの発想や思想は、あなた自身の発想や思想とは明らかに異なる――

 

 それを知ることは――

 あなた自身の発想や思想の幅を間違いなく広げます。