マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

民主主義制度への懸念

 歴史上――
 権力の集中に成功した人物が直面した問題は後継者問題であり――
 その後継者問題を解決する最も有効な発想が、

 ――民主主義

 ではないか――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べましたが――

 ……

 ……

 実は、

 ――最も有効な発想

 というのは――
 ちょっと持ち上げすぎなのです。

 実際には、

 ――最もマシな発想

 といったところでしょう。

 どういうことか――

 ……

 ……

 民主主義の発想で後継者問題を解決しようと思ったら――
 当然、

 ――選挙

 をやることになります。

 例えば――
 おとといの『道草日記』で触れた中国・唐の高祖・李淵は――
 自らの後継者を息子・李世民に選定する際に――
 李世民でよいかどうかを選挙に諮ればよかったのですね。

 もちろん――
 理想は、当時の中国の全ての民を有権者とする選挙です。

 そこで――
 李世民がよいのか、それとも他の人物――例えば、李世民の兄――がよいのかを――
 諮ればよかった――

 ……

 ……

 が――

 これには重大な懸念があります。

 李世民李世民の兄と――
 どちらが李淵の後継者にふさわしいかは――
 後継者に課せられる責務や後継者に求められる能力を正確に予測することになしには――
 おそらく、ちゃんとした判断はできません。

 そのような予測が可能な人というのは――
 もし、自分が後継者になったなら、その役をきちんと果たせる人――あるいは、果たせそうな人――であるに違いありません。

 そんな人が――
 その辺にゴロゴロといるものでしょうか――

 ……

 ……

 ――いる!

 と信じて政治制度を運用するのが、

 ――民主主義

 です。

 ……

 ……

 ――いやぁ、そんなにはいないでしょ。

 と疑ってしまったら――

 選挙の結果の信頼性が――
 けっこう深刻に揺らいでしまう――

 ……

 ……

 こうした懸念に目をつむるなら――

 民主主義は――
 たしかに、後継者問題を解決する上で、最も有効な発想といえます。

 ……

 ……

 唐の高祖・李淵は――

 もちろん――
 そうした懸念に目をつむることはありませんでした。

 その理由は――
 そんな選挙の実施は、当時の社会制度や社会設備、慣習、思想の観点から、到底、実現しえなかったということもありますが――

 おそらく――
 最も本質的な理由は――
 李淵自身が、

 ――誰が後継者にふさわしいかは、本当のところは、自分以外には判断できない。

 と考えていたに違いないからです。

 それを、

 ――専制君主時代の蒙昧

 と断ずることは――
 そう簡単ではありません。