マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

取り返しのつかない失敗を恐れよ

 おとといの昼前に安倍晋三さんが凶行に遭ったことについて、

 ――防がないといけない惨劇だった。

 と述べました。

 

 もちろん――

 どんな惨劇も防ぎたいところです。

 

 が――

 残念ながら――

 すべての惨劇を防ぐことはできません。

 

 世の中には――

 防げる惨劇と防げない惨劇とがあります。

 

 ――防がないといけない惨劇だった。

 というのは――

 それが、

 ――防げる惨劇

 ではなかったか、と――

 僕には思えるからです。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は要人警護の専門家ではありません。

 

 よって、今回の襲撃を、具体的に、どのように防げばよかったのか――

 きちんとしたことは何もいえません。

 

 が――

 報道によると――

 すでに数多くの専門家の方々が、いくらか控えめにいったとしても、

 ――改善の余地は十分にあったようにみえる。

 といった主旨の発言をされています。

 

 決して、

 ――最善が尽くされたのは明らかにみえる。

 とは、どなたも仰っていない――

 ように思えます。

 

 僕個人が気になっているのは、

 ――再起不能の失敗をきちんと恐れたか。

 です。

 

 しばしば、

 ――失敗を恐れるな。

 と、いわれます。

 

 失敗を恐れるあまり――

 消極的な言動に陥って、みすみす好機を逃すな――

 といった主旨でいわれることが殆(ほとん)どであろうと思いますが――

 

 それは、

 ――取り返しのつく失敗

 に限った話です。

 

 ――取り返しのつかない失敗――つまり、再起不能の失敗――

 については――

 きちんと、これを恐れなければなりません。

 

 失敗への対応の要諦は、

 ――取り返しのつく失敗

 と、

 ――取り返しのつかない失敗

 との見分け方です。

 

 その失敗をすることで、どんな損害を被りうるのか――

 その損害によって、何か必要な事物が永遠に失われることはありえないのか――

 

 ……

 

 ……

 

 今回――

 安倍晋三さんが凶弾に斃れることで――

 ご家族・ご親族にとってだけでなく、日本国にとって、あるいは、国際社会にとって、どんな損害が生じうるのか――

 その損害によって、ご本人の命と並んで永遠に失われてしまう事物に何があるのか――

 日本国政府によって、きちんと吟味をされていたのでしょうか。

 

 大いに疑問です。