マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

失敗の問題の本質

 ――失敗の分類

 の切り口は3つある――

 ということを、7月25日の『道草日記』で述べました。

 

 ――再起可能の失敗か、再起不能の失敗か。

 と、

 ――利益獲得の失敗か、否か。

 と、

 ――損害回避の失敗か、否か。

 との3つです。

 

 日常生活の感覚に照らしますと、

 ――再起可能の失敗か、再起不能の失敗か。

 という切り口は、一部の例外を除き、ほとんど汎用性はありません。

 

 よって、

 ――利益獲得の失敗か、否か。

 と、

 ――損害回避の失敗か、否か。

 という切り口が、日常生活では有用なのです。

 

 が――

 僕は、

 ――失敗

 を厳密に考えるのなら――

 そういう切り口に安住をしていてはいけないと考えます。

 

 ――利益獲得の失敗か、否か。

 や、

 ――損害回避の失敗か、否か。

 の切り口よりも、

 ――再起可能の失敗か、再起不能の失敗か。

 の切り口のほうが、ずっと有用である――

 ということです。

 

 この考えに従って、

 ――失敗の分類

 を試みますと――

 以下のようになります。

 

 まず、

 ――失敗

 を、

 ――再起可能の失敗

 と、

 ――再起不能の失敗

 とに分ける――

 

 次いで――

 各々を、

 ――利益獲得の失敗か、否か。

 や、

 ――損害回避の失敗か、否か。

 の切り口に従って分けていく――

 

 そのような分類がよいと思うのです。

 

 そして――

 誰かの命が失われるような状況が無視をできるのなら、

 ――再起可能の失敗

 のことのみを考え――

 無視はできないのなら、

 ――再起可能の失敗

 と、

 ――再起不能の失敗

 との両方を考える――

 

 ここで――

 誰かの命が失われるような状況が無視をできるのか、できないのか――

 その一点に、

 ――失敗の問題の本質

 が詰まっているように――

 僕には思えます。

 

 失敗の深刻な事例というのは、たいてい――

 誰かの命が失われる状況が実際には無視はできなかったのに、無視をしてしまったことで、起こっているのです。