マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

利益獲得の失敗と損害回避の失敗と

 ――失敗

 には、

 ――再起可能の失敗

 と、

 ――再起不能の失敗

 との2種類がある――

 ということを、7月13日の『道草日記』以降、繰り返し述べてきました。

 

 一方で――

 2015年4月15日の『道草日記』では、

 ――失敗

 には、

 ――利益獲得の失敗

 と、

 ――損害回避の失敗

 との2種類がある――

 とも述べています。

 

 ……

 

 ……

 

 ちょっと――

 ややこしいことになっていますね。

 

 これら2つの分類の関係性は――

 どうなっているのでしょうか。

 

 まずは、原則的ないし前提的なことを述べれば――

 これら2つの分類は一義的には互いに独立をしています。

 

 つまり、

 ――再起可能の失敗か、再起不能の失敗か。

 ということと、

 ――利益獲得の失敗か、損害回避の失敗か。

 ということとは、本質的には、関係がありません。

 

 が――

 大雑把にいえば、

  再起可能の失敗 ≒ 利益獲得の失敗

 であり、

  再起不能の失敗 ≒ 損害回避の失敗

 であるとはいえます。

 

 2015年4月15日の『道草日記』で述べているように、

 ――利益獲得の失敗

 とは、

 ――山師の失敗

 であり、

 ――損害回避の失敗

 とは、

 ――踏切番の失敗

 であるのです。

 

 山師は 100 回中 99 回は失敗をしても、残りの 1 回で失敗をしなければ、問題はありませんが――

 踏切番は 10,000 回中 9,999 回は失敗をしなくても、残りの 1 回で失敗をすれば、大問題となります。

 

 100 回中 99 回の失敗でも問題はなく、誰かの命が失われることも、まず、ありえないのですから、

 ――山師の失敗

 は、当然ながら、

 ――再起可能の失敗

 といえます。

 

 一方――

 10,000 回中 1 回でも失敗をすれば大問題となり、誰かの命が失われることも、大いにありうるのですから

 ――踏切番の失敗

 は、当然ながら、

 ――再起不能の失敗

 といえます。

 

 が――

 以上は、あくまでも議論の出発点であり――

 実際の社会における失敗の在り方を論じる上では――

 ちょっと単純化が過ぎます。

 

 実際には、

 ――山師の失敗

 にも、

 ――再起不能の失敗

 はありえ、

 ――踏切番の失敗

 にも、

 ――再起可能の失敗

 はありえます。

 

 例えば――

 山師が鉱脈を求めて危険な山地へ入り、遭難で命を落とすことはありえますし――

 踏切番が物影を人影と見間違え、慌てて列車を停めてしまうことはありえます。