マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「利益獲得の失敗か、損害回避の失敗か」が重要である理由

 失敗を論じる上で最も重要なことは、

 

  利益獲得の失敗

  損害回避の失敗

  利益獲得の失敗かつ損害回避の失敗

 

 の3つの失敗のうち、

 

  損害回避の失敗

  利益獲得の失敗かつ損害回避の失敗

 

 の2つの失敗から、いかにして

 ――再起不能の失敗

 を見つけ出して――

 かつ――

 それら、

 ――再起不能の失敗

 を、いかにして確実に避けていくのがよいのか――

 ということである――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう、

 ――利益獲得の失敗かつ損害回避の失敗

 というのは、

 ――獲得をされうる利益の質や量

 と、

 ――回避をされうる損害の質や量

 との相対関係によって、実質的に、

 ――利益獲得の失敗

 とみなせたり、

 ――損害回避の失敗

 とみなせたりすることは――

 自明です。

 

 すなわち、

 ――獲得をされうる利益の質や量

 が、

 ――回避をされうる損害の質や量

 を大きく上回るときには、

 

  利益獲得の失敗かつ損害回避の失敗

  ≒ 利益獲得の失敗

 

 とみなせますし――

 その逆は、

 

  利益獲得の失敗かつ損害回避の失敗

  ≒ 損害回避の失敗

 

 とみなせます。

 

 ――獲得をされうる利益の質や量

 と、

 ――回避をされうる損害の質や量

 とが同等である失敗というのは――

 珍しいでしょう。

 

 それゆえに――

 失敗を、とりあえず、

 ――利益獲得の失敗

 と、

 ――損害回避の失敗

 との2つに分けて理解をしておくことは――

 少なくとも日常生活においては――

 重要なのです。

 

 裏を返すと――

 普通に日常生活を送っていれば、

 ――再起可能な失敗か、再起不能の失敗か。

 に注意が向く人は稀である――

 ということです。

 

 なぜなら、

 ――再起不能の失敗

 とは、

 ――誰かの命が失われる失敗

 であるからです。

 

 ――誰かの命が失われる失敗

 と日常生活において厳しく対峙をしている人というのは――

 そんなに多くありません。