マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

それは失敗の問題ではない。無為や無策の問題である

 ――失敗の問題

 とは、

 ――誰かの命の問題

 であり――

 誰かの命が失われるような状況が無視をできるのなら――

 それは、

 ――失敗の問題

 ではない――

 何か他の問題である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 一方――

 おとといの『道草日記』では、

 ――失敗の分類

 を試みる場合には――

 まず、

 ――再起可能の失敗

 と、

 ――再起不能の失敗

 とに分け――

 次いで――

 各々の失敗を、

 ――利益獲得の失敗か、否か。

 や、

 ――損害回避の失敗か、否か。

 に照らして分けるのがよい――

 とも述べました。

 

 この分類に従えば、

 ――再起可能である“利益獲得の失敗”の問題

 も、

 ――再起可能である“損害回避の失敗”の問題

 も、

 ――失敗の問題

 ではない――

 ということになります。

 

 では、何の問題か――

 

 ……

 

 ……

 

 ――再起可能である“利益獲得の失敗”の問題

 は、たいていは、

 ――無為の問題

 であり、

 ――再起可能である“損害回避の失敗”の問題

 は、たいていは、

 ――無策の問題

 であるのですね。

 

 ――無為

 というのは、

 ――何の人為も試みない。

 ということです。

 

 ――無策

 というのは、

 ――何の対策も講じない。

 ということです。

 

 つまり――

 例えば、会社の経営者が――

 何の人為も試みずに利益獲得へ至らないことは、大いに問題であるけれども――

 あらゆる人為を試みた上で利益獲得へ至らない分には、大した問題ではなく――

 また――

 何の対策も講じずに損害回避へ至らないことは、大いに問題であるけれども――

 あらゆる対策を講じた上で損害回避へ至らない分には、大した問題ではない――

 といえます。

 

 あらゆる人為を試みたり、あらゆる対策を講じたりしても、巧くいかなかったのであれば――

 何か人知の超えたところで、どうしようもない原因が潜んでいたに違いない――

 そういう釈明が殆どの場合に許されます。