マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

失敗を歓迎する態度こそ

 失敗するかしないかが、人の価値を決めるのではなくて――

 いったん失敗したあとで――
 その原因を、どのように考え、次の失敗に、どのように備えるか――

 未知の失敗への備えが、その人の価値を決める、と――
 僕は思っています。

 この世に失敗しない人などは存在しません。
 人は誰もが完璧ではないのです。

 よって、

 ――よし、次は絶対に失敗しないぞ!

 と意気込むことには――
 何ら意義を見出せません。

 そうではなくて、

 ――よし、次の失敗には必ず巧く備えるぞ!

 と意気込むことにこそ――
 意義を見出すのがよいのです。

 失敗を恐れるのではなく――
 失敗を待ち構える――

 あるいは――
 あえて誤解を恐れずにいえば――
 失敗を待ち望む――
 失敗を歓迎する――

 そういう態度が――
 人の価値を高めます。

 ここでいう「失敗」の多くは――
 再起可能の損害を被る失敗を指していますが――
 当然ながら――
 再起不能の損害を被る失敗をも指しています。

 つまり、

 ――失敗を歓迎する態度

 というのは――
 大胆不敵にも――
 再起不能の損害を被る失敗をも歓迎する態度なのです。

 より厳密には――
 ひとたび再起不能の損害を被る失敗が起きかけた時に、その再起不能の損害を瞬時のうちに抑制し、何とか再起可能の損害に押し上げようとする態度――
 となります。

 この態度こそが――
 人の世で最も尊い態度ではないか、と――
 僕は思っています。

 理由は2つあります。

 1つは前述しました。

 この世に失敗しない人などは存在しないからです。
 人は誰もが完璧ではないからです。

 もう1つは――

 人の世では――
 取り返しのつかないことを取り返すことは、文句なく素晴らしいことだと思うからです――
 限りある命の人々が住まう、この世の中では――

     *

 以上のことは――

 去年5月に出版された書籍『失敗が教えてくれること』(竹内薫著、総合法令出版)の監修を担当させて頂いていたときに――
 僕が、もっとも強く意識していたことです。