マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

再起不能の失敗と再起可能の失敗と

 ――日本人は、ただでさえリスクをとりたがらないから、安倍さんが選挙の演説中あんなふうに亡くなってしまったので、今後ますます萎縮してリスクをとらなくなる。

 という意見を耳にしました。

 

 たしかに、そうかもしれません。

 この意見に僕は概ね同意をします。

 

 が――

 この意見――

 少し乱暴でしょう。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 ここでいう、

 ――リスク

 には2つあるということを――

 僕は常に重くみています。

 

 ――再起不能の失敗のリスク

 と、

 ――ただの失敗のリスク

 との2つです。

 

 ――ただの失敗

 というのは、

 ――再起可能の失敗

 のことです。

 

 以上を踏まえ、

 ――日本人は、ただでさえリスクをとりたがらないから、安倍さんが選挙の演説中あんなふうに亡くなってしまったので、今後ますます萎縮してリスクをとらなくなる。

 という意見を僕なりに述べ直しますと――

 以下の通りになります。

 

 ――日本人は、再起不能の失敗と再起可能の失敗とを混同しがちだから、安部さんが選挙の演説中あんなふうに亡くなってしまったので、今後ますます萎縮して再起可能の失敗のリスクまでとらなくなる。

 

 つまり――

 ここでの問題の本質は、

 ――今後ますます萎縮して――

 にあるのではなくて、

 ――再起不能の失敗と再起可能の失敗とを混同しがち――

 にあるのです。

 

 よって――

 僕にいわせれば、

 ――日本人は、ただでさえリスクをとりたがらないから、安倍さんが選挙の演説中あんなふうに亡くなってしまったので、今後ますます萎縮してリスクをとらなくなる。

 という意見は、

 ――再起不能の失敗と再起可能の失敗との違いに無頓着である。

 という点で、

 ――日本人が今後ますます萎縮してリスクをとろうとしなくなる。

 という問題に通底をしています。

 

 ――再起不能の失敗と再起可能の失敗との違いに無頓着である。

 ということの弊害は2つあります。

 

 1つは、

 ――リスクをとりたがらない

 であり――

 もう1つは、

 ――再起不能の失敗を繰り返す

 であるのです。

 

 ここでいう、

 ――再起不能の失敗

 とは、どういう失敗か――

 

 例えば、

 ――会社の経営破綻

 とか、

 ――科学研究の成果の漏洩

 とか、

 ――選手生命が断たれる大けが

 とか、

 ――政治生命が断たれる不祥事

 とかではありません。

 

 ――誰かの命が失われること

 です。