マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

それは誰の失敗か――

 ――再起不能の失敗

 とは、

 ――誰かの命が失われること

 である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この場合の、

 ――誰か

 とは、

 ――自分自身

 もしくは、

 ――自分以外の誰か

 です。

 

 きのうの『道草日記』で――

 僕は、

 ――再起不能の失敗と再起可能の失敗との違いに無頓着であること

 の弊害には2つあって――

 1つは、

 ――リスクをとりたがらないこと

 であり――

 もう1つは、

 ――再起不能の失敗を繰り返すこと

 である――

 と述べました。

 

 これを読まれた方のなかには、

 ――どうやったら“再起不能の失敗”などが繰り返せるのか。

 と疑問に思われた方もいらしたかと思いますが――

 

 これで、おわかりでしょう。

 

 ――再起不能の失敗を繰り返す。

 というのは、

 ――自分の失敗により他者の命を幾つも奪っていく。

 ということなのです。

 

 実に深刻です。

 

 先週の金曜日に安倍晋三さんが亡くなられたことは――

 1つの命が失われているので――

 あきらかに、

 ――再起不能の失敗

 です。

 

 では――

 それは誰の失敗か――

 

 安倍晋三さんの失敗か――

 

 ……

 

 ……

 

 そうではないでしょう。

 

 第一には、街頭演説中の警護に当たっていた日本国および都道府県当局の失敗でしょう。

 第二には、このような奇禍に街頭演説中に遭いうる仕組みを見逃していた日本国当局の失敗でしょう。

 

 安倍晋三さんのお立場では――

 ご自分の警護に当たる人たちに全面的な信頼を置き、覚悟を決め、ご自身の命をお預けになるのが最善であったはずです。

 

 報道が伝えるところによれば――

 亡くなられた安倍晋三さんのお顔は、まるで微笑んいるかのように、柔和でいらしたそうです。

 

 そして――

 そのタカ派的な政治信条や強面の印象のある政治姿勢とは異なり――

 プライベートの安倍晋三さんは、周囲に細やかな気配りを欠かさない穏和なお人柄であった、とのこと――

 

 ということは――

 

 最期の柔和なお顔は、

 ――誰も責めるつもりはない。

 とのご意思の現われか――

 

 ……

 

 ……

 

 いずれにせよ――

 

 それは安倍晋三さんの失敗ではありません――安倍晋三さんの失敗ではありえません。