マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

繰り返される“再起不能の失敗”

 ――再起不能の失敗

 とは、

 ――自分自身

 もしくは、

 ――自分以外の誰か

 の命が失われる失敗のことである――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――自分自身

 の命が失われる失敗は――

 ――自分自身

 の命は1つだけなので――

 繰り返されることは、まず、ありえません。

 

 が、

 ――自分以外の誰か

 の命が失われる失敗は――

 繰り返されることが、おおいにありえます。

 

 よって――

 どちらも並外れて深刻です。

 

 ――自分自身

 の命が失われれば、

 ――すべてが終わり

 です。

 

 ――自分以外の誰か

 の命が失われれば――

 自分自身にとっては、それで、

 ――すべてが終わり

 ということにはなりませんが――

 それで命を落とす人にとっては、間違いなく、

 ――すべて終わり

 ということになります。

 

 つまり、

 ――再起不能の失敗

 には、

 ――自分自身の命が失われる“再起不能の失敗”

 と、

 ――自分以外の誰かの命が失われる“再起不能の失敗”

 との2つがあって――

 それぞれの深刻さの意味合いは、かなり異なる――

 ということなのです。

 

 ……

 

 ……

 

 きのうの『道草日記』で、

 ――先週の金曜日に安倍晋三さんが亡くなられたことは、安倍晋三さんご自身の失敗ではなかった。

 ということを述べました。

 

 これは、

 ――先週の金曜日に安倍晋三さんが亡くなられたことは、安倍晋三さんにとっての、ご自身の命が失われる“再起不能の失敗”であったのではなく、日本国および都道府県当局にとっての、自分以外の誰かの命が失われる“再起不能の失敗”であった。

 という意味です。

 

 つまり、

 ――繰り返される可能性があるほうの“再起不能の失敗”である。

 ということです。