18世紀プロセインの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、
――永遠平和(ewigen Frieden)
を、
――実現の可能性が保証をされている観念
とみなしていたと考えられる――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
では――
何が、
――永遠平和
の実現に保証を与えているのか、というと――
カントは、
――自然の摂理が永遠平和の実現に保証を与えている。
と考えたようです。
簡単にいってしまうと、
――太古の昔、個人が国家を作って互いに殺し合わないで済むようになったように、現代以降、国家が組織を作って互いに戦い合わないで済むようになることは、自明である。
と考えたようなのですね。
その組織のことを、
――平和連合(foedus pacificum)
と呼んだそうです。
太古の昔――
なぜ個人は国家を作ったかというと――
個人は争いを厭わず、常に自分の利益を最大にするように考え、動くからです。
その結果――
国家を作るほうが、作らないよりも、自分の利益を大きくできると考え、国家を作るに至った――
それと同じで――
現代以降――
国家は戦争を厭わず、常に自国の利益を最大にするように政策を決め、実行に移すことから――
平和連合を作るほうが、作らないよりも、自国の利益を大きくできると判断を下し、平和連合を作るに至るはずである――
ということです。
この結論に至る過程の論証を――
カントは、そんなに丁寧には行わなかったと指摘をされています。
そればかりか――
過去の自分の著作で扱っていた主張と矛盾をしている可能性がある、とも――
……
……
――永遠平和の実現が保証をされていることは自明であるとカントは主張をしているが、その主張に進んで同意をする者は決して多くない。
というのが――
今日の主流になっている見解のようです。
僕も、
(たしかに自明ではない)
と思います。