マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

複雑性:人の知能の限界が創出をした概念

 ――複雑性(complexity)の本質

 の基本形は――

 織豊期の人物・曽呂利(そろり)新左衛門(しんざえもん)と豊臣秀吉との、

 ――倍々計算

 の逸話に表れている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり、

 ―― 1 粒の米を、 1 日目に倍の 2 粒で受け取り、2 日目は、さらに倍の 4 粒で受け取り、3 日目は、さらに倍の 8 粒で受け取る。これを 100 日目まで続けて受け取ると、最終的には何粒を受け取るか。

 という計算に、

 ――複雑性の本質

 の基本形が表れている、と――

 

 ……

 

 ……

 

 豊臣秀吉は、なぜ「それくらいの米なれば好きに取らせてつかわす」と安請負をしてしまったのか――

 

 もちろん、

 ――倍々計算

 を、

 ――足々計算

 からの類推で捉えたからです。

 

 ここでいう、

 ――足々計算

 とは――

 例えば、

 ―― 1 粒の米を、 1 日目に 2 粒を加えて 3 粒で受け取り、2 日目は、さらに 2 粒を加えて 5 粒で受け取り、3 日目は、さらに 2 粒を加えて 7 粒で受け取る。これを 100 日目まで続けて受け取ると、最終的には何粒を受け取るか。

 という計算です。

 

 この場合は――

 今日の高校数学の等差数列の知識を用いれば――

 もらえる粒数は、

  3 + 5 + 7 + …… + 201

  = 10,200

 です。

 

 お茶碗 1 杯分の米粒の数が約 3,000 ですから――

 お茶碗 3 杯分くらいですね。

 

 まさに、

 ――それくらいの米なれば――

 です。

 

 ――足々計算

 では、足される量が一定です。

 

 ――倍々計算

 では、足される量が一定ではありません――どんどん増えていきます。

 

 どんどん増えていく量が次々と足されていくという――

 ただ、それだけで――

 人の知能は、もはや事態を正しくは捉えられなくなってしまうのですね。

 

 こうした人の知能の限界が、

 ――複雑性

 という概念の創出の根底にあるように――

 僕には思えます。

 

 当然のことながら――

 人工知能には、そのような限界はありません。

 

 人工知能にとっては、

 ――足々計算

 も、

 ――倍々計算

 も本質的には同じ手続きです。

 

 ――倍々計算

 のほうが、

 ――足々計算

 よりも、ほんの僅かだけ演算に手間がかかる――

 というだけのことです。