マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今川義元のこと(11)

 今川(いまがわ)義元(よしもと)は――
 あの織田信長桶狭間(おけはざま)で敗れて死んでいることから――
 どうしても、織田信長の引き立て役に終始しがちですが――

 それは――
 小説やマンガ、映画、TVドラマなど――
 史実を弄りにくい媒体に限った話です。

 コンピュータ・ゲームでは、比較的、史実を弄りやすいので――
 たんなる織田信長の引き立て役ではないキャラクター造形がなされています。

 なかでも――
 僕が気に入っているのが――
 某人気アクション・ゲームに登場する今川義元です。

 恰幅がよく――
 やや下ぶくれの丸顔に薄い朱色のほほと短めの口髭、おちょぼ口――
 垂れ目が公家風の白塗りによくなじんでいて――
 そこはかとなく気立てのよい顔立ちをしています。

 自身を、

 ――まろ

 と称し――
 公家風の言葉遣いが板につきながらも――
 妙に謙虚な物言いをしたり、ときに含蓄のある処世訓を口にしたりします。

 武芸や軍略は好まず、むしろ、和歌や蹴鞠を好み――
 早く戦国の世を終わらせたいと真剣に考えている――

 それでいて――
 アクション・ゲームの登場人物ですから、当然なのですが――
 実は、武芸や軍略に秀でているのです。

 好まないにもかかわらず、秀でいてる――

 まさに、

 ――海道一の弓取り

 の異称が――
 よく似合う風格なのです。

 この異称は――
 史実の今川義元に与えられたものです。

 「海道」とは「東海道」を意味し、現代の近畿地方から関東地方にかけての太平洋側の全域を指す言葉で――
 「弓取り」とは「弓矢を手に取る者」を意味し、転じて一定の領土を武力で統治していた大名を指す言葉です。

 そのコンピュータ・ゲームのシナリオのなかでは――
 桶狭間の戦いの直前に――
 今川義元の乗る輿の近くに雷が落ち――
 そばに控えていた若き日の徳川家康が慌てて駆け寄ると、

 ――まろを殺すか、家康――まろに代わって天下をとろうとな?

 と凄んでみせるシーンなどは――
 実に印象的です。

 史実では――
 桶狭間の戦いの頃の徳川家康は、たしかに今川義元に臣従し、同じ戦場にはいたのですが――
 その頃の徳川家康は、「徳川家康」ではなく、「松平(まつだいら)元康(もとやす)」と名乗っていました。

 よって――
 今川義元徳川家康のことを、

 ――家康

 と呼ぶことなどは、ありえなかったのですが――

 そのような歴史公証は――
 ゲームには野暮というものです。

 ……

 ……

 それにしても――

 このシーンを描いた人は――
 歴史の妙を巧みに用いました。

 のちに徳川家康が実際に天下をとったことは――
 このようなゲームをプレイする人なら――
 おそらく誰もが知っている――

 その点を効果的に突いています。

 たしかに――

 もし、今川義元が自分の死後の歴史を知っていたならば――
 そのような言葉を松平元康に――のちの徳川家康に――つい、かけたくなったに違いありません。

 今川義元への憧憬と憐憫とが混然一体となった――
 見事なシーンです。