マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今川義元のこと(23)

 今川(いまがわ)義元(よしもと)も――
 今川氏も――

 (かなり日本的ではなかったか)
 と――
 僕は思っています。

 日本人によって好ましく感じられる人物像の平均が今川義元ではないか――

 あるいは――
 日本人が年月をかけて作り上げていく組織の典型が今川氏ではないか――

 ということです。

 よって――
 今川義元や今川氏から学べることは――
 そのまま日本人論や日本組織論に通じうる――
 と、僕は考えています。

 例えば――
 日本人の政治指導者が陥りやすい死地や破局は、今川義元の最期から類推できる――
 あるいは――
 日本の巨大組織や成長組織が瓦解していく過程は、今川氏の衰退から類推できる――
 ということです。

 裏を返すと――

 (ぜんぜん日本的ではない)
 ということです。

 徳川家康も、
 (今川義元ほどには日本的でない)
 と感じます。

 ……

 ……

 もちろん――

 ふつうは――
 そんなふうには思いませんよね。

 日本人の英雄です。

 それは間違いありません。

 が――
 それゆえに――

 つまり――
 日本人の英雄であるがゆえに――

 (それほど日本的であるはずがない)
 ということなのです。

 彼ら3人は、それほど日本的でなかったがゆえに――
 英雄として日本史に名をとどめえたのです。

 今川義元は――
 たぶん、
 (あまりにも日本的――)
 でした。

 それゆえに――
 英雄として名をとどめることが――
 できなかった――

 そう思います。