今川(いまがわ)義元(よしもと)が――
仮に桶狭間(おけはざま)の戦いで殺されなかったとしても――
その子・氏真(うじざね)が――
という話を――
3日前の『道草日記』で述べました。
……
……
その理由は――
きのうまでの『道草日記』で述べた通り――
今川氏真の為人(ひととなり)にあります。
史実の今川氏真は――
戦国の世を生き永らえるために――
父親の仇である織田信長の前で蹴鞠の芸を披露したり――
かつて自身の配下であった徳川家康の配下に降ったり――
しています。
――生き永らえるためには手段を選ばない。
そういう為人であったらしい――
ということです。
こうした今川氏真の生き様は――
きのうまでの『道草日記』で述べたように――
同時代人にも現代人にも、すこぶる評判が悪いのですが――
少し見方を変えると――
今川氏真は――
自身の弱点を冷徹に見極め、かつ自身の置かれた状況を冷静に分析し、きわめて現実的な決断を下しうる感性の持ち主であった――
ということになります。
そのような人物であったので――
仮に父・義元が桶狭間の戦いで殺されることなく――
例えば、織田信長と手を結んで、北や東に領土を拡大していき――
その結果、今日の東海・関東・甲信越に広がる強大な勢力を受け継いでいたとしても――
いずれは、
――余に政(まつりごと)は向かぬ。
などといって、
――あとは頼んだぞ。
と――
あっさり有力な家来――おそらくは徳川家康――に後事を託してしまったような気が――
してならないのです。
それは――
ある意味――
今川氏真の、
――人間的な強み
であり、
――特異的な魅力
である――
といえなくもないでしょう。