マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今川義元のこと(18)

 今川(いまがわ)義元(よしもと)が――
 仮に桶狭間(おけはざま)の戦いで殺されなかったとしても――

 その子・氏真(うじざね)が――
 今川氏の広大な領土を徳川家康禅譲したに違いない――

 という話を――
 3日前の『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 その理由は――
 きのうまでの『道草日記』で述べた通り――

 今川氏真の為人(ひととなり)にあります。

 史実の今川氏真は――
 戦国の世を生き永らえるために――
 父親の仇である織田信長の前で蹴鞠の芸を披露したり――
 かつて自身の配下であった徳川家康の配下に降ったり――
 しています。

 ――生き永らえるためには手段を選ばない。

 そういう為人であったらしい――
 ということです。

 こうした今川氏真の生き様は――
 きのうまでの『道草日記』で述べたように――
 同時代人にも現代人にも、すこぶる評判が悪いのですが――

 少し見方を変えると――
 今川氏真は――
 自身の弱点を冷徹に見極め、かつ自身の置かれた状況を冷静に分析し、きわめて現実的な決断を下しうる感性の持ち主であった――
 ということになります。

 そのような人物であったので――
 仮に父・義元が桶狭間の戦いで殺されることなく――
 例えば、織田信長と手を結んで、北や東に領土を拡大していき――
 その結果、今日の東海・関東・甲信越に広がる強大な勢力を受け継いでいたとしても――
 いずれは、

 ――余に政(まつりごと)は向かぬ。

 などといって、

 ――あとは頼んだぞ。

 と――
 あっさり有力な家来――おそらくは徳川家康――に後事を託してしまったような気が――
 してならないのです。

 それは――
 ある意味――
 今川氏真の、

 ――人間的な強み

 であり、

 ――特異的な魅力

 である――
 といえなくもないでしょう。