マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今川義元のこと(15)

 もし――
 今川(いまがわ)義元(よしもと)が、織田信長の器量を的確に見抜き、織田信長とは戦わずに手を結んでいたらば――
 今川氏は、その後も戦国の世を十分に生き残っていったに違いない――
 という結果論――あとづけ論――を――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 もし――
 本当に今川義元織田信長と手を結んでいたら――

 その後の歴史は、どうなっていたでしょうか。

 おそらく――
 今川氏は――
 駿河(現在の静岡県中部)を拠点に、しばらくは強大な勢力を維持しえたでしょう。

 織田信長と巧く協調をして――
 甲斐(現在の山梨県)や信濃(現在の長野県)へ領土を広げていたかもしれません。

 そうなっていれば――
 もちろん――
 甲斐の武田信玄が、

 ――戦国最強

 と称されることはなかったはずです。

 いわゆる戦国大名の一人として認識されるにとどまったでしょう。

 僕らが知っている歴史とは、だいぶ違った歴史になっていたはずです。

 が――
 それでも――
 最終的な顛末は、ほぼ同じになっていた可能性が高い――
 と、僕は考えます。

 今川義元は天寿を全うし――
 実際の歴史より10年~30年くらい遅れて――
 後継ぎの子・氏真(うじざね)の代となります。

 僕らの知っている歴史では――
 今川氏真は――
 武人としてよりも文人としての資質に恵まれていたとされます。

 そのような人物であったのでしょう。

 よって――
 僕らの知らない歴史でも――
 今川氏真が父・義元の残した広大な領土をきちんと受け継ぐことはできなかったでしょう。

 が――
 この歴史における今川氏には――
 あの徳川家康が、有力な武将として配下に控えていたはずです。

 理由は――
 あす以降に述べますが――

 僕は――
 今川氏真は、父・義元から受け継いだ領土を――
 遅かれ早かれ、徳川家康禅譲したに違いない、と――
 想像します。

 こう述べると、

 ――はあ?

 と訝る向きも多かろうと想像しますが――

 今川氏真という人物は――
 どうも、そのようなことを平気でやってのけるような人物であったらしいのです。