気分の不自然な浮き上がりでもない限り――
出アフリカやベーリング地峡の踏破などの決死行は成し遂げられなかったに違いない――
ということを――
きのうまでの『道草日記』で述べました。
……
……
この“気分の不自然な浮き上がり”は――
5日ほど前から『道草日記』で繰り返し述べた通り、
――自分の生命が危険にさらされるときに、例外的に起こる異変
です。
人の根本的な本能に生存欲求があると考えられます。
その生存欲求が、一時的にせよ、掻き消されるのです。
“気分の不自然な浮き上がり”は――
人の心に生じる異変といってよいでしょう。
このような“異変”をきたしうる性質ないしは潜在能力が――
生物種としての人(ヒト)以外の生物種にみられるのかどうかを――
僕は知りません。
もちろん――
すでに絶滅をしたヒトの亜種――例えば、ネアンデルタール人に代表されるような“ヒトのような生物”――に、同様な“異変”をきたしうる性質ないしは潜在能力があったかどうかも――
僕にはわかりません。
わかりませんが――
……
……
仮に――
ヒト以外の生物で――
そのような性質ないし潜在能力が現在あるか、過去あったとしても――
それは、程度としては、不十分ではなかったか、と――
僕は思います。
少なくとも、ヒトと比べれば、不十分であった――
……
……
あえて極論をすれば――
ヒトは、“気分の不自然な浮き上がり”という特異な性質ないし潜在能力を獲得したために――
この地球という惑星の表面で、今日の繁栄を築きあげることができた――
といえるかもしれません。