マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ベーリング地峡の踏破にも……

 ――気分が不自然に浮き上がる。

 といった“異変”なしには決して成し遂げられなかったであろう決死行の例として――
 約7万年前の、

 ――出アフリカ

 を――
 きのうの『道草日記』で取り上げました。

 ……

 ……

 このような移住は――
 ヒトの長い進化の歴史の中では、あちこちで、ときどきは起こっていたと考えられます。

 出アフリカ以外にも――
 例えば、

 ――ベーリング海峡の踏破

 です。

 今から1~3万年ほど前に――
 ユーラシア大陸で暮らしていた蒙古人種(Mongoroid)が――
 今日の「ベーリング海峡」と呼ばれる一帯を越え、北アメリカ大陸へ渡ったと考えられています。

 今日、「ベーリング海峡」といえば――
 東シベリアのチュクチ半島とアラスカのスワード半島との間に広がる海峡です。

 出アフリカのときに――
 ヒトが越えたのは幅10㎞ほどの海峡であったと考えられています。

 ベーリング海峡は幅100㎞ほど――

 しかも、アフリカやアラビアと違って――
 極寒の気候です。

 当時のヒトの技術では、とても渡れる海峡ではありませんでした。

 それも、そのはずで――

 当時は、まだ最終氷期でしたから――
 今日でいう「ベーリング海峡」は、海峡ではなく、地峡でした。

 つまり――
 東シベリアからアラスカまで、どうやら地続きであったようなのですね。

 もちろん、氷に閉ざされていたとは思いますが――
 決して、当時のヒトが、氷山の浮かぶ100㎞の海原を、手漕ぎボートのような航法で越えて行ったわけではありません。

 が――

 それでも――
 とてつもない辛苦を伴った移動であったことは、間違いないでしょう。

 気分の不自然な浮き上がりでもない限り――
 決して成し遂げられなかった決死行であった、という点では――
 出アフリカと同じです。

 むしろ――
 それ以上の決死行――出アフリカよりも長期の辛苦をもたらす決死行――であったと思います。

 なぜ――
 当時のヒトは――
 そんな決死行に挑んだのか――

 ……

 ……

 直接の原因は――
 おそらく――
 ユーラシア大陸の東シベリア付近の食糧事情が悪かったためです。

 満足に食べ物を得ることができなかった――

 ……

 ……

 それならば――
 南西に進路をとることもできたはずです。

 実際に――
 今日でいう北東アジアや中央アジアに向かったヒトたちもあったに違いありません。

 が――
 それらの地は、既存の住民があったはずです。

 アフリカ単一起源説によれば――
 東シベリアからみれば、北東アジアや中央アジアはアフリカへ逆戻りをする方向です。

 逆戻りをすれば――
 食べ物をめぐって深刻な争いになったでしょう。

 そうした争いを避けるために――
 一部の蒙古人種たちは、1~3万年前、ベーリング海峡を越えて――正確には、ベーリング地峡を越えて――未知の新天地に活路を見出そうとしたに違いありません。

 おそらく――
 大勢のヒトたちが命を落としました。