マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

生命史上、実にきわどい時代を生きているのかもしれない

 ヒトが風邪ウイルスをプール(pool)するキャパシティ(capacity)が満杯か否かは――

 ヒトの進化に劇的な変化がみられるか否かに等しいのではないか――

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ヒトがヒトになる以前――だいたい今から 3 万~ 10 万年前――に、今でいうアフリカ大陸で、ヒト属に含まれる他の生物種たちと共存をしていた頃――

 ヒトが“人らしい社会性の獲得”という劇的な進化を遂げたらしいことは――

 その頃――

 ヒトが風邪ウイルスをプールするキャパシティが満杯になっていたらしいことを――

 示唆しているのではないか――

 ということです。 

 

 よって――

 ヒトがヒトになった以後――だいたい今から 1 万~ 3 万年前以降、現代までの期間において――

 ヒトが風邪ウイルスをプールするキャパシティが満杯になっているかどうかは――

 その期間において――

 ヒトに、“人らしい社会性の獲得”に匹敵するような劇的な進化がみられたかどうかに、かかっている――

 ということになります。

 

 どうでしょうか。

 

 だいたい今から 1 万~ 3 万年以降、現代までの期間において――

 ヒトは、“人らしい社会性の獲得”に匹敵するような劇的な進化を遂げたといえるでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 (ちょっと、いえないのではないか)

 と考えています。

 

 ……

 

 ……

 

 ひょっとすると、

 ――農耕の始まり

 や、

 ――大航海時代の幕開け

 や、

 ――産業革命

 あるいは、

 ――インターネットの発明・普及

 などは、

 ――“人らしい社会性の獲得”に匹敵しうるのではないか。

 と考える向きがあるかもしれません。

 

 たしかに――

 これらの事象は、

 ――長い生命史の中で、特筆に値する影響をヒトの生態に及ぼした。

 とはいえそうです。

 

 が――

 これらは、いずれも技術(technology)の進展であることに留意が必要でしょう。

 

 技術の進展は、ヒトが、言語の使用などに象徴される“人らしい社会性の獲得”を経て、知識や発想、思考などが地域や世代の垣根を越えて伝えられるようになった結果といえます。

 

 よって――

 “農耕の始まり”も“大航海時代の幕開け”も“産業革命”も“インターネットの開発・普及”も、すべて“人らしい社会性の獲得”の一環とみなすのがよいのではないか――

 と、僕は考えています。

 

 つまり――

 だいたい今から 1 万~ 3 万年以降、現代までの期間において――

 ヒトが“人らしい社会性の獲得”に匹敵するような劇的な進化を遂げたとはいえないのではないか――

 

 いいかえますと――

 ヒトが風邪ウイルスをプールするキャパシティは、まだ満杯にはなっていないのではないか――

 ということになります。

 

 もちろん――

 そのキャパシティは、実は、すでに満杯になっていて――

 そろそろ“人らしい社会性の獲得”に匹敵しうる劇的な進化がみられる頃なのだが、まだ、みられていないだけである、という可能性もあります。

 

 もし、そうなら――

 僕らは、生命史上、実にきわどい時代を生きている――

 ということになります。