マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今川義元のこと(7)

 今川(いまがわ)氏に最大領土をもたらしたのは――
 今川義元(よしもと)ではなく、雪斎(せっさい)であった――
 という話を――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 このような話には――
 とりあえず2つのことに注意が必要です。

 一つは――
 いわずもがなのことですが――
 史料による裏付けの有無ですね。

 専門家によると――
 雪斎が、終生、今川義元の大名権力を代理執行していた形跡は――
 少なくとも残存の史料の中には――
 十分に見出すことができないようです。

 もちろん――
 雪斎が幼少期から今川義元の教育係をかなり熱心に務めていたようであること――
 および――
 今川義元が今川氏の家長になる際に、雪斎が相応のお膳立てをしたであろうこと――
 その後しばらくは雪斎が今川氏の内政や外交・軍事に一定の指導性をみせたらしいこと――
 には史料による十分な裏付けがあるようです。

 もう一つは――
 人の能力を一面的な尺度で測るのは避けたほうがよい――
 ということです。

 仮に――
 雪斎が今川義元の大名権力をほぼ終生にわたって代理執行していたとして――
 つまり、

 ――戦国大名として有能であったのは雪斎であって、今川義元ではない。

 ということが事実であったとして――

 その事実が必ずしも今川義元の低能を示すわけではありません。

 もし――
 今川氏に最大領土をもたらしたのが今川義元ではなく、雪斎であったのなら――

 その雪斎が自身の資質や才覚を存分に発揮しうる環境を調えたのは――
 ほかならぬ今川義元であったはずなのです。

 なぜならば――
 雪斎が代理執行したのは、あくまで今川義元の握っていた大名権力であるはずだから――
 です。

 よく、

 ――自分より格段に優れた人材でも使いこなすことはできる。

 などといいますが――

 これは――
 口でいうほど簡単なことではありません。

 それなりの育ちの良さや確かな学識を備えた人物でなければ――
 とうてい不可能なことです。

 畏怖や嫉妬が邪魔をするからです。

 今川義元には――
 そうした育ちの良さや確かな学識が――
 十分に備わっていたと考えられます。