良いニュースと悪いニュースとがあったら――
まずは悪いニュースから聞くのがよい――
ということを――
きのうまでの『道草日記』で述べました。
……
……
なぜなのか――
……
……
その理由は――
少なくとも経験的には、明らかでしょうが――
とりあえず――
理屈をこねてみます(笑
……
……
この問題には、
――人の気分を司る原理
が深く関わっているのではないか、と――
僕は考えています。
「人の気分を司る原理」とは何か――
それは、
――人の気分は、自然と沈み込むことはあっても、自然と浮き上がることはない。
という原理です。
人は――
良いニュースを聞けば、気分は浮き上がり――
悪いニュースを聞けば、気分は沈み込みます。
よって――
気分というものは、浮き上がらせることにのみ意義があるのであって、沈み込ませることには意義がありません。
良いニュースを聞いて、浮き上がった気分は――
放っておいても、そのうちに自然と沈み込み始めます。
一方――
悪いニュースを聞いて、沈み込んだ気分は――
放っておいたら、いつまでも沈み込み続けているかもしれない――少なくとも、自然と浮き上がってくることは、ほとんど期待できない――
ひとたび沈み込んだ気分というのは――
その後――
おそらくは――
浮き上がっているとの自覚がもてないくらいなだらかに、浮き上がっているからです。
……
……
以上が、
――人の気分は、自然と沈み込むことはあっても、自然と浮き上がることはない。
という原理の詳細です。
こうした原理が司っているために――
人の気分は――
もし、それに何か人為的な操作を加えるのであれば、
――気分を沈み込ませること
ではなく、
――気分を浮き上がらせること
にこそ、意義がある――
ということになってきます。
悪いニュースを聞いて、気分を沈み込ませた後に――
良いニュースを聞いて、気分を浮き上がらせる、ということは――
いつまでも気分が沈み込んでいるのを予防するという意味で――
理に適っています。
一方――
良いニュースを聞いて、気分を浮き上がらせた後に――
悪いニュースを聞いて、気分を沈み込ませる、ということは――
いつまでも気分が沈み込んでいるのを助長するという意味で――
理に適っていません。