マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

命が失われる時期や経過

 ――“再起可能の失敗”と“再起不能の失敗”との違いに十分に精通をする。

 ということは、

 ――人命の尊さに敏感となる、

 ということに、ほかならない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 要するに、

 ――誰かの命が失われるかもしれない可能性に敏感となる。

 ということです。

 

 その「誰か」というのは――

 自分自身のことであったり――

 自分の身近にいる人たちであったり――

 まったく見ず知らずの人たちであったりするのですが――

 

 ――人命

 という点では共通なのです。

 

 もちろん、

 ――人命

 に拘る必要はなくて――

 ヒト以外の生物種の命も含めてよいわけですが――

 

 とにかく、

 ――何らかの命が失われるかもしれない可能性に敏感となる。

 ということです。

 

 ただし――

 ここで難しいのは、

 ――すべての命は、いつかは失われる。

 という事実です。

 

 未来永劫、決して失われない命というのは、ありえない――

 

 この事実が、

 ――何らかの命が失われるかもしれない可能性に敏感となる。

 ということを妨げます。

 

 ――いずれは皆、死ぬんだ。誰かの命が失われたって、そんなことは別に気にする必要はない。

 という発想ですね。

 

 ……

 

 ……

 

 あらゆる命が、いつかは失われる――

 

 それは事実です。

 

 が――

 その失われる時期には、

 ――適切・不適切

 があり――

 その経過には、

 ――自然・不自然

 があるのです。

 

 適切な時期に自然な経過で失われるのなら、よいでしょう。

 不適切な時期に不自然な経過で失われるのは、よくありません。

 

 つまり、

 ――何らかの命が失われるかもしれない可能性に敏感となる。

 というのは、

 ――命が失われる時期の不適切さや経過の不自然さに敏感となる。

 ということにほかなりません。