――再起不能性
の定義の問題が極度に私秘的(private)であることを踏まえ――
僕は、
――失われる人命の数の期待値が 1 以上であること
をもって、
――再起不能性
と、みなしている――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
が――
ちょっと引っかかることがあります。
――失われる人命の数
というところです。
本当に「失われる」でよいのか――
……
……
おとといの『道草日記』とは少し違った意味で――
極端な話をします。
ある人が個人事業で仕事をしながら――
一人暮らしをしているとします。
3年くらい前から――
体を動かすと息切れがするようになりました。
1年くらい前からは――
コンビニエンス・ストアまで3分ほど歩いて出かけるだけで息切れが激しくなり、立ち止まらざるをえない状態です。
親しい友人たちは何となく異変に気づいているようですが――
遠方に住んでいる家族や親族は、まったく気づいていません。
ある日――
親しい友人の一人から、
――病院へ行って、診てもらったら?
と助言を受けました。
が、
――行かない。
と答えます。
病院へ行ったら、何種類もの検査を受けさせられ――
その結果によっては、ひょっとすると入院を勧められるかもしれない――
入院をしたら、仕事はできなくなる――
個人事業なので、そのまま廃業へ追い込まれるかもしれない――
その数日後――
激烈な心臓発作が起こり――
その人は亡くなってしまった――
さて――
この人は、
――再起不能性
をどのように見定めていたでしょうか。
もし、
――すぐ病院へ行かなくても、まさか死ぬとことはあるまい。
と高をくくっていたのなら――
おそらく、それは再起不能性を見落としている――
つまり――
友人の助言を容れて病院へ行かなかったのは、
――再起不能である“損害回避の失敗”
といってよいでしょう。
が、
――今さら病院へ行っても、もはや手遅れに違いない。
と覚悟を決めていたのなら――
どうでしょうか。
それでも――
それは、
――再起不能である“損害回避の失敗”
といえるでしょうか。
……
……
おそらく、いえません。
自分自身の命が失われる可能性を見落としていたり見過ごしていたりしたわけではない――
……
……
このような事例のことまで含めて、
――再起不能性
の定義を考えると――
――失われる人命の期待値が 1 以上であること
という定義は不十分のように思えるのです。