マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

失敗の問題は人命と結びつけられて深まる

 ――再起不能

 の定義を、

 ――失われる人命の数の期待値が 1 以上であること

 ではなく、

 ――失われなくてもよい人命の数の期待値が 1 以上であること

 とするほうがよい――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――失われなくてもよい人命

 というのは、

 ――本来なら失われることがない人命

 という意味です。

 

 つまり、

 ――何らかの損害回避の行動に出れば失われないで済む人命

 という意味です。

 

 ――再起不能

 の定義は、普遍的でも絶対的でもなく、むしろ、きわめて私秘的(private)である――

 ということを、8月12日以降の『道草日記』で述べてきました。

 

 ――再起不能

 の定義に、

 ――人命

 を結びつけるのは――

 あくまでも僕の考えであって――もっといえば、僕の好みである――

 といえます。

 

 なぜ――

 僕は、

 ――再起不能

 の定義に、

 ――人命

 を結びつけたがるのか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――再起不能

 の定義に、

 ――人命

 を結びつけることで、

 ――失敗

 の問題が俄然、深くなるからです。

 

 ――人命

 を結びつけた瞬間に、

 ――失敗

 は抜き差しならない事象ないし事態を示すことになります。

 

 どうでもよい事象ないし事態ではなくなる――

 

 ……

 

 ……

 

 いいかえると――

 

 それだけ、どうでもよい、

 ――失敗

 が、世間では取り沙汰をされすぎているように感じられる――

 ということです。

 

 例えば――

 年長者が年少者に与える助言の定番に、

 ――若いうちに、できるだけ多くの失敗をしておけ。

 があります。

 

 この助言に出てくる「失敗」は――

 はっきりいって、どうでもよい失敗です。

 

 ――再起不能

 や、

 ――人命

 と結びついていないことは明らかです。

 

 僕は、

 ――若いうちに、できるだけ多くの失敗をしておけ。

 という助言は――

 その「失敗」の内容を明らかにしていないという意味で、

 (かなり無責任である)

 と思っています。

 

 実際には、

 ――若いうちに、できるだけ多くの“再起可能の失敗”をしておけ。

 という意味でしょう。

 

 そして――

 その前提には、

 ――若いうちから、“再起可能の失敗”と“再起不能の失敗”との違いには十分に精通をしておけ。

 という助言が隠れているのです。

 

 その前提こそが、年少者にとって最も大切な助言ではないか――

 そのように僕には思えます。