マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

再起不能性の定義は私秘的である

 Aさんに挨拶をして無視をされることは、

 ――再起可能の失敗

 とみなされることが多いはずであるが――

 なかには、

 ――それは、たしかに“再起不能の失敗”である。

 と感じる人たちもいるはずである――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そのように感じる人たちに対し――

 執拗な異論を挟むのは控えたほうがよい、とも――

 

 ……

 

 ……

 

 なぜ執拗な異論を挟むのは控えたほうがよいのか――

 

 ……

 

 ……

 

 それは、

 ――再起不能

 の定義が――

 究極的には、

 ――私秘性(privateness)

 の問題とみなさざるをえないからです。

 

 ――再起可能

 か、

 ――再起不能

 かについては――

 結局は、

 ――再起を試みる者

 の主観によって決めるしかありません。

 

 その者が、ひとたび、

 ――再起はムリ!

 と感じてしまえば――

 それは、もう、その者にとっての、

 ――再起不能

 と、みなさざるをえません。

 

 そのような意味で、

 ――再起不能性の定義は私秘的(private)である。

 といえます。

 

 私秘的な問題である以上――

 不躾な介入はしないほうがよいでしょう。

 

 人さまの家の中にズカズカと入っていかないようにするのと同じです。

 

 自分以外の誰かの再起不能性の定義を考えるよりも――

 自分自身の再起不能性の定義を考えるほうが――

 ずっと有用であり、かつ生産的であるといえます。

 

 何をもって、

 ――再起不能

 とみなすのか――

 

 それは――

 あなた自身にとって、誰か他の人から邪魔をされるべきではない問題――あなた自身の私秘的な問題――なのです。

 

 以上のことを踏まえて――

 僕は、

 ――失われる人命の数の期待値が 1 以上であること

 をもって、

 ――再起不能

 と、みなすことにしています。