マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

藤原隆家:“禍々しい損害”を被った人物

 ――何らかの命が失われるかもしれない可能性に敏感となる。

 ということは、

 ――命が失われる時期の不適切さや経過の不自然さに敏感となる。

 ということにほかならない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり――

 何らかの命が、

 ――え? この時期に、そんな経過で?

 と疑念を抱かれるような形で失われることを思い浮かべて、

 ――それは決してあってはならないことである。

 と捉えられる感性が、

 ――命が失われる時期の不適切や経過の不自然さに敏感となる。

 ということなのです。

 

 例えば、

 ――年端もいかぬ子どもが、何者かに襲われて命を奪われる。

 というような事件は、

 ――命が失われる時期の不適切さ

 や、

 ――命が失われる経過の不自然さ

 の典型といえます。

 

 そんな事件のニュースに、

 ――禍々しさ

 を感じない人は、きわめて稀であろうと思います。

 

 そのような事件を起こす者は――あるいは、起こすと目される者は――

 たとえ自分自身の命を失うことはなかったとしても――

 この人の世においては――

 ほぼ間違いなく、

 ――再起不能の損害

 を被ります。

 

 実際に―― 

 そのような損害を被ったと考えられる人物を――

 僕は一人、挙げることができます。

 

 日本の平安中期の公卿・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)です。

 

 藤原隆家が、

 ――再起不能の損害 

 を被ったのは 10 代の終盤―― 17 歳頃――のことでした。

 

 この損害を被らなければ――

 おそらく、かなり違った人生を歩んだ人物です。

 

 今日、

 ――藤原隆家

 という名前をきいて――

 その人生の概略をすぐに思い浮かべられる人は―― 

 その筋の学者さんか、もしくは、相当な日本史ファンであろうと思いますが――

 

 もし、その“禍々しい損害”を藤原隆家が 17 歳頃に被らなければ――

 ひょっとすると――

 あの平安貴族の代表格ともいえる人物・藤原道長(ふじわらのみちなが)と肩を並べていたかもしれません。

 

 いや――

 その藤原道長をも凌ぐビッグ・ネームにさえ、なっていたかもしれない――

 

 ……

 

 ……

 

 藤原隆家のことを――

 僕は、まだ『道草日記』に書いたことがなかったようです。

 

 せっかくなので――

 あすから、しばらく――

 藤原隆家のことを書こうと思います。