――失敗の問題とは看過の問題である。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
ここでいう、
――看過
とは、
――再起不能になりうる危険性を見落としてしまうこと――あるいは、その危険性を見過ごしてしまうこと
です。
よって、
――失敗の問題
に取り組むには、まずは対象の事物をよく見ることである――
といえます。
最も究極的な失敗――最も究極的な“再起不能の失敗”――を例に採りましょう。
そういう失敗の典型例は――
おそらく、
――核戦争の勃発による人類の滅亡
です。
――核戦争の勃発による人類の滅亡
を防ぐには、どうしたらよいか――
核戦争が勃発をしかねない情勢を――
まずは詳細に見ることです。
例えば――
現在でいえば――
それは、ロシア政府によるウクライナ侵略でしょう。
ロシア政府は核兵器の使用を公然と仄めかし、ウクライナの支援国に外交上の圧力をかけました。
20世紀終盤の冷戦の終了後、現在、核戦争の勃発の危険性が最も高まっていると考えられています。
こういう情勢をまずは詳細に見ることです。
そして――
どんなことが核戦争の勃発の直接の原因となりえそうかを考える――
核兵器の保有国の政府首脳部を外交的に追い詰めすぎてしまうとか――
人々の危機感を煽って核兵器の使用の機運を盛り上げてしまうとか――
核兵器の管理に直に携わる軍人や技術者が恐慌に陥ってしまうとか――
色々と挙げられそうです。
そして――
それら一つひとつの原因の候補について、対策を講じていく――
――核戦争の勃発による人類の滅亡
は、間違いなく、
――損害回避の失敗
ですから――
ここで重要なのは、
――無為の問題
ではなく、
――無策の問題
です。
が――
その前に向き合わなければならないのは、
――看過の問題
であることは自明です。
どんなことが核戦争の勃発の直接の原因となりえそうか――
その原因の候補を1つでも挙げ損ねたら――
その候補への対策が講じられません。
その結果――
核戦争が勃発をし、人類は滅亡への道を突き進むことになる――
そうなった後で――
実際に人類が滅亡となるまでに一体どれほどの時間が残されているのかは、よくわかりませんが――
おそらくは僅かな時間でしょう。
その僅かな時間のうちに、
――しまった! それも原因となりえたか!
と悟ったところで、もう遅いのです。