マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

藤原隆家のこと(3)

 藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、

 ――自分の恋人のもとに花山(かざん)法皇(ほうおう)が通っている。

 と誤解をした兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)のために――

 自分の従者を用いて花山法皇へ矢を射かけさせた――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 実に過激で陰湿な決断です。

 

 そのような決断を――

 藤原隆家は――

 いくら同腹の兄のためとはいえ――

 なぜ下したのか――

 

 ……

 

 ……

 

 一つは――

 きのうの『道草日記』でも述べた通り――

 隆家の祖父・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)や叔父・藤原道兼(ふじわらのみちかね)と花山法皇との間にあった因縁です。

 

 花山法皇を若くして退位へ追いやったのは、兼家の策略であったと考えられています。

 そのことに気づいた花山法皇が、兼家の嫡孫である兄・伊周に嫌がらせをしてきたと考えても、とくに不自然ではありませんでした。

 

 ――そっちがその気なら、こっちには考えるがある。

 と過度に意気込んでしまったとしても――

 無理のないことでした。

 

 もう一つ理由が挙げられます。

 藤原隆家の生来の気質です。

 

 幼少の頃より、

 ――世中のさがなもの

 と呼ばれていたそうです。

 

 ――世中

 とは、おそらくは、

 ――世の中

 のこと――

 

 ――さがなもの

 とは、

 ――性(さが)なき者

 の略で、

 ――性格が悪い者

 とか、

 ――口うるさい者

 とか、

 ――いたずら好きの者

 とかいった意味です。

 

 よって、

 ――世中のさがなもの

 とは、

 ――当代一の厄介者

 くらいの意味となります。

 

 実際のところ――

 10 代の頃の隆家は、自身の従者に命じて法皇へ矢を射かけさせるだけでなく――

 それ以前にも、例えば、叔父・道長の従者へ自身の従者をけしかけ、ときに道長の従者を殺めさせてしまうことさえ、あったようなのです。

 

 ――さがなもの隆家

 にとって――

 同腹の兄のために法皇へ矢を射かけさせるくらいのことは、さほどの重大事ではなかったに違いありません。