藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、
――自分の恋人のもとに花山(かざん)法皇(ほうおう)が通っている。
と誤解をした兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)のために――
自分の従者を用いて花山法皇へ矢を射かけさせた――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
実に過激で陰湿な決断です。
そのような決断を――
藤原隆家は――
いくら同腹の兄のためとはいえ――
なぜ下したのか――
……
……
一つは――
きのうの『道草日記』でも述べた通り――
隆家の祖父・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)や叔父・藤原道兼(ふじわらのみちかね)と花山法皇との間にあった因縁です。
花山法皇を若くして退位へ追いやったのは、兼家の策略であったと考えられています。
そのことに気づいた花山法皇が、兼家の嫡孫である兄・伊周に嫌がらせをしてきたと考えても、とくに不自然ではありませんでした。
――そっちがその気なら、こっちには考えるがある。
と過度に意気込んでしまったとしても――
無理のないことでした。
もう一つ理由が挙げられます。
藤原隆家の生来の気質です。
幼少の頃より、
――世中のさがなもの
と呼ばれていたそうです。
――世中
とは、おそらくは、
――世の中
のこと――
――さがなもの
とは、
――性(さが)なき者
の略で、
――性格が悪い者
とか、
――口うるさい者
とか、
――いたずら好きの者
とかいった意味です。
よって、
――世中のさがなもの
とは、
――当代一の厄介者
くらいの意味となります。
実際のところ――
10 代の頃の隆家は、自身の従者に命じて法皇へ矢を射かけさせるだけでなく――
それ以前にも、例えば、叔父・道長の従者へ自身の従者をけしかけ、ときに道長の従者を殺めさせてしまうことさえ、あったようなのです。
――さがなもの隆家
にとって――
同腹の兄のために法皇へ矢を射かけさせるくらいのことは、さほどの重大事ではなかったに違いありません。