マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

白拍子として最も有名な人物

 白拍子として最も有名な人物は――
 おそらくは、

 ――静御前

 です。

 平安末期の武将・源義経の側室であったと考えられています。

 源義経は、鎌倉幕府の祖・源頼朝の弟ですね。
 鎌倉幕府の樹立に際し、最も華々しい軍功を挙げた武将です。

 その義経の側室として――
 静御前は、歴史に名を残しているわけですが――

 もともと白拍子の名手として同時代の人々によく知られていた女性でした。

 この女性――
 一般には、儚げな薄幸の女性として認識されていますが――

 実は、かなり気の強い人物ではなかったか、と――
 僕は考えています。

 義経が謀叛の罪で兄・頼朝からの追捕を受けるようになると――
 静御前は、いったんは義経と行動を共にしますが――
 なぜか途中から同行を拒まれています。

 このエピソードは――
 一般には、

 ――義経静御前を深く愛していたがゆえの拒絶

 というふうに――
 美談として捉えられていますが、

 ――もし、本当にそうなら、最初から同行を認めなかったはず――

 と考えることもできます。

 僕は、
(道中、義経の不興を買ったからではないか)
 と推測をしています。

(持ち前の気の強さが災いし、義経を怒らせたか、あるいは、うんざりさせたのではないか)
 と――

 ……

 ……

 義経と別れた静御前は――
 従者らに裏切られて金品を奪われ――
 山中をさまよった挙句に、捕えられます。

 従者らに裏切られた理由は定かではありません。

 が――
 僕には――
 義経の不興を買ったのと同じような経緯で、

 ――従者らからも見捨てられた。

 と考えるのが自然のように思います。

 ……

 ……

 きわめつけは――
 罪人の妻として鎌倉に移送されてからのエピソードです。

 源頼朝が妻・北条政子を伴って鶴岡八幡宮に参拝した際に――
 静御前は、白拍子として舞を奉納するように命じられます。

 北条政子が、

 ――白拍子の稀代の名手が鎌倉にいるというのに、その舞をみられないのは残念だ。

 と述べるなど――
 乗り気がしなかった夫・頼朝に強く働きかけたといわれています。

 それは、おそらくは表向きの理由で――
 実際には――
 政子は、同じ源家に嫁いだ女性として、静御前に深く同情をし、

 ――罪人の側室とはいえ、夫・頼朝にとっては弟の妻にあたる。その素晴らしい舞を一目みれば、ひょっとすると夫・頼朝の頑なな非情が緩み、多少なりとも温情が引きだせるかもしれない。

 そんなふうに考えたのではないでしょうか。

 ところが――
 静御前は、わざわざ頼朝を怒らせるような歌を詠みます。

  吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

 義経への思慕の情を――
 ことさらに強調した歌でした。

 頼朝の面目は丸潰れです。

 頼朝としては、あくまで罪人の妻として処遇をしたかったはずです。

 が――
 妻・政子の再三の願いを聞き入れ、仕方なく、舞の奉納の機会を与えた――
 その場で、あえて波風の立つような歌を詠んだ静御前――

 大人げないとは知りつつも――
 怒りを隠すのは難しかったでしょう。

 もっとも――
 静御前にしてみれば――

 それくらいに――
 罪人の妻の立場で舞の奉納を強要されることが我慢ならなかった――
 ということであろうと思います。

 なので――
 よほど気の強い女性であったと思わずにはいられないのですね。

 ふつうの女性なら――
 あのような場で、わざわざ頼朝を怒らせるような歌を詠んだりはしないでしょう――たとえ、義経への思慕の情が本当に残っていたとしても――