――刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)
では――
大宰権帥(だざいごんのそち)の藤原隆家(ふじわらのたかいえ)の采配が功を奏し――
九州北部沿岸に押し寄せた武装集団は、沖合いへの撤退を強いられ――
その後、壱岐や対馬を経て朝鮮半島の東方沖へ逃れていったようです。
すかさず――
藤原隆家は追撃を命じました。
追撃を命じた理由は――
おそらく、その時点では、攻め寄せてきた武装集団の正体が、よくわかっていなかったからです。
当初は、
――朝鮮半島から攻め寄せてきた。
と考えられたようです。
――朝鮮半島へ逃げ戻るのかどうか、できる限り見届けよう。
そういう思惑があったのでしょう。
その際に――
隆家は、京の都で培っていた国家運営の感覚を活かします。
と命じたのですね。
当時――
日本列島側の勢力圏は、
というのが暗黙の了解でした。
日本列島側の勢力圏を越えて兵船を出すことの危険性を――
隆家は十分に弁えていたのです。
配下の兵船が朝鮮半島へ不用意に近づけば、ただちに外交問題となります。
下手をすると――
日本列島と朝鮮半島との間で全面戦争となりかねない――
当時の朝鮮半島の王朝は、
――高麗
でした。
その前の王朝は、
――新羅
です。
日本と新羅とは、7世紀に全面戦争を行っています。
新羅は、中国大陸の皇朝・唐の後ろ盾を得て、日本に対し、終始、優勢でした。
その苦い歴史の記憶を、隆家は忘れていませんでした。
――朝鮮半島をいたずらに刺激してはならぬ。
それは中央政府の政治家としての外交センスでした。
一方――
高麗の方も、
――日本列島をいたずらに刺激するべきではない。
との考えで実は動いていました。
九州北部沿岸に押し寄せた武装集団は、朝鮮半島からやってきたのではなく――
中国大陸の北東部――後に「満洲」と呼ばれる地域――からやってきていたのです。
その武装集団の襲撃には高麗も手を焼いていて――
密かに報復の機会を狙っていたようです。
隆家らが押し返した武装集団の兵船は、高麗の兵船の待ち伏せを受け、壊滅をしています。
その際に――
高麗は、武装集団が捕えていた対馬や壱岐の住人たちの多くを救い出し、日本列島側へ丁重に送り返しています。
そうした朝鮮半島側の対応への答礼に――
隆家は細心の注意を払いました。
京の都の意向を明確に伝え、しかるべき金品を贈った上で、丁重に引き取りを願ったのです。
高麗からの使者に、できる限り丁寧に接すると同時に――
京の都へ不用意に近づけないように、注意深く取り計らったと考えられます。
当時の日本列島は、生活や文化の水準が朝鮮半島よりも低いと、考えられていました。
――わざわざ国力の劣勢をみせることはない。
隆家の脳裏では――
かなり冷静な計算が働いていたと考えられます。
隆家は、
――武人としての資質
を十分に備えてはいましたが――
本来は、あくまでも文人でした。
武人としてだけでなく、文人としても――