マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自然知能における“作動原理系”と“作用原理系”との区別

 自然知能における、

 ――作動原理系

 と、

 ――作用原理系

 との区別は――

 少なくとも――

 コンピュータ(computer)における、

 ――システム・ソフトウェア(system software)

 と、

 ――アプリケーション・ソフトウェア(application software)

 との区別ほどに明瞭にはできないであろう――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 


 そもそも――

 その区別のことを考える前提として――

 今日の自然科学は、

 ――自然知能の作動原理

 の内実を殆ど何も明らかにしていない――

 ということを踏まえる必要があります。

 


 この世界に自然知能は、いかにして生まれ、いかにして育まれていったのか――

 この世界に自然知能が生まれる必然はあったのか――あったのなら、どのような必然的過程の帰結であったのか――

 


 あるいは――

 自然知能が作動をするとは、どういうことなのか――

 この世界を司っている自然法則のうち、どの法則に、どのように沿うことによって、自然知能は作動をしているのか――

 


 そういった問いへの答えは、まだ殆どみつかっていません。

 


 僕個人は――

 何となく、

 (散逸構造の発生と関係があるのかな)

 と思っています。

 


 ――散逸構造

 については、2016年8月24日の『道草日記』で、やや詳しく述べました。

 ごく簡単にいってしまうと、

 ――エネルギーの流れが吹きぬくところに発生をする構造

 のことです。

 


 この散逸構造の発生と自然知能の発生とは、どこかで通底をしているに違いない――

 そのように直感をしてはいるのですが――

 それ以上に何か具体的で特異的なことを述べることは――

 今の僕にはできません。

 


 このように、

 ――自然知能の作動原理

 が、よくわからないのですから、

 ――自然知能の作用原理

 も、よくわかりません。

 


 おそらく、“自然知能の作用原理”は、“自然知能の作動原理”から独立をして自然知能を司っているのではなく、“自然知能の作動原理”の一部に組み込まれているのであろう、と――

 今の僕は思っていますが――

 それ以上に踏み込んだことは何もいえません。

 


 自然知能における、

 ――作動原理系

 と、

 ――作用原理系

 との区別は――

 少なくとも――

 コンピュータにおける、

 ――システム・ソフトウェア

 と、

 ――アプリケーション・ソフトウェア

 との区別ほどに明瞭にはできないであろう――

 というのは、そういう意味です。