――気分
も、
――情動
も、実は“快”という感情の強弱の変化にすぎないのではないか――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
もし、そうであるならば――
――感情
というのは――
自然知能の生理的ないし器質的な側面――つまり、自然知能のハードウェア(hardware)――の管理や制御を司っている“自然知能の作動原理系”の一部――つまり、自然知能のシステム・ソフトウェア(system software)の一部――
ということになります。
いいかえるなら――
――感情
の発生は、自然知能が、自然知能として十分に作動をするために、どうしても欠かせない生理現象である――
ということです。
翻って――
……
……
人工知能には――
少なくとも、21世紀序盤の現代に実在をしている人工知能には、
――感情
に相当をするシステム・ソフトウェアは備わっていないようにみえます。
昨今の人工知能には――
人工知能が下す認知や言動の決定――つまり、人工知能の作用――に、一定の偏りや傾向を与えるようなシステム・ソフトウェア――とりわけ、オペレーティング・システム(operating system)――が内蔵をされている――あるいは、内蔵をされつつある――
というような話は耳にしません。
もしかしたら――
それと似たような働きをもつオペレーティング・システムが、すでに開発をされ、これから内蔵をされるのかもしれませんが――
少なくとも、そのオペレーティング・システムが、ごく当たり前のように、多くの人工知能に実装をされている――
ということは、まだ起こっていないように思います。
それが起こるときに――
人工知能は自然知能に大幅に近づくのかもしれません。