――知能
と比較をしうる概念を挙げるとしたら、何か――
それは――
おそらく、
――本能
です。
生物学関係の一般書を読んでいると――
ときに、
――知能
と、
――本能
とが二律背反であることが前提になっていると気づきます。
例えば、
――ミツバチが、生まれながらにダンスの仕方をわかっていて、花の蜜の在りかを仲間に伝えられるのは、ミツバチのダンスが、知能ではなく、本能に基づいているからだ。ミツバチは、仲間から教わってダンスができるようになるのではない。
というように――
……
……
――知能と本能とは二律背反――
という理解に、とくに問題はないでしょうか。
僕は――
ちょっと疑っています。
(本当の二律背反か)
と――
……
……
ところで――
この、
――本能
という言葉――
学術論文や専門書では、あまり使われません。
理由は2つくらいあって――
1つは、
――この言葉の定義が曖昧かつ多様であり、様々な文脈に様々な語義で用いられ、しばしば混乱の原因となるため――
で――
もう1つは、
――この言葉の定義をどのように決めても、それによって何か有意義な提案や議論ができるようにはならないため――
です。
理由の2つめが――
けっこう深刻ですね。
というのは――
この理由――
例えば、
――人の「○○」という性質は本能である。
と指摘をしても、とくに学術的に意味のある発言にはなりえない――
ということに等しいからです。
たしかに――
そうかもしれません。
――本能
という言葉には――
たしかに、いい加減なところがあります。
が――
それでも――
僕は、あえて以下のように問いたいのです。
――人の「感情」という性質は本能ではないのか。
この問いの内実は、
――人の「感情」という性質は本能であって知能ではないのか。それとも、本能であり、かつ知能でもあるのか。
という疑念です。
……
……
きのうの『道草日記』で、僕は、
――感情
は、“自然知能の作動原理系”――つまり、自然知能のシステム・ソフトウェア(system software)の一部である――
と述べました。
この主張に基づき、
――感情とは本能である。
と述べるなら――
それは、
――本能は知能の一部である。
という主張になります。
つまり――
先ほど、
――人の「感情」という性質は本能ではないのか。
と僕が問うたのは――
実は、
――本能は知能の一部ではないのか。
と問いたかったからなのですね。
……
……
もし――
本能が知能の一部であるならば――
多くの問題が氷解をします。
そもそも――
なぜ「本能」の定義は曖昧かつ多様なのか――
それは、
――本能
が、実際には、
――知能
の一部であるにも関わらず――
そのことが十分には意識をされてこなかったから――
です。