――自然知能では、限られた処理能力で迅速な出力(output)をするために、情動が認知や言動の決定へ介入をしているのではないか。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
そのように考えると、
――感情
は、
――気分
も、
――情動
も、自然知能の生理的ないし器質的な側面の管理や制御を司っていると、みなしうる――
とも――
……
……
もし、そうであれば――
そもそも、
(感情って、いったい何なんだ?)
という根本的な疑問に――
僕らは向き合わねばなりません。
感情とは、いったい何なのでしょうか。
……
……
以下は――
つい先ほど、思いついたことなのですが――
(感情とは、自然知能の生理的ないし器質的な側面に組み込まれる情報ではないか)
と今の僕は考えています。
この情報に基づき――
自然知能は、自身が下す認知や言動の決定に一定の偏りや傾向を与えることによって――
本来の出力に必要であるはずの時間や手間を効率的に省いているのではないか――
例えば――
好感情と結びついている認知や言動は出力がされやすくなり――
悪感情と結びついている認知や言動は出力がされにくくなる――
というように――
……
……
その情報は、ある意味では、
――記憶
と呼んでもよいでしょう。
ただし――
それは自然知能の“作用”としての記憶ではなく――
あくまでも、自然知能の“作動”としての“記憶”――自然知能の生理的ないし器質的な側面に組み込まれる“記憶”――です。
いってみれば――
自然知能のソフトウェア(software)が扱う記憶ではなくて――
自然知能のハードウェア(hardware)に刻まれる“記憶”ですね。
――その自然知能が過去に下した認知や言動の決定の痕跡
といっても、よいかもしれません。