マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

感情は実は「快・不快」だけ?

 ――感情とは、自然知能の生理的ないし器質的な側面に組み込まれる情報ではないか。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 その情報は――

 自然知能が認知や言動の決定を下す際に一定の偏りや傾向を与えることによって――

 自然知能の出力に本来は必要であるはずの時間や手間を効率的に省いているのではないか――

 

 例えば――

 好感情と結びついている認知や言動は出力がされやすくなり――

 悪感情と結びついている認知や言動は出力がされにくくなる――

 というように――

 

 ……

 

 ……

 

 このように考えると、

 ――感情

 には、

 ――好感情

 と、

 ――悪感情

 との2つしか存在をしていない――

 とさえ感じられます。

 

 いえ――

 

 2つでさえ、多すぎるかのもしれない――

 

 実は1つしか存在をしていないのではないか――

 

 例えば、

 ――快

 という感情しか存在をしていない――

 

 ――快

 が相対的に強ければ、

 ――好感情

 であり――

 

 ――快

 が相対的に弱ければ、

 ――不快

 つまり、

 ――悪感情

 である――

 

 このように考えると、

 ――感情

 が、

 ――気分

 と、

 ――情動

 との2つに分けられるという考え方にも――

 見直しが必要です。

 

 例えば、

 ――気分

 と、

 ――情動

 とは、実は本質的には差異がなくて――

 快・不快の感情のうち――

 持続的で微弱な感情を、

 ――気分

 と呼び――

 一時的で強烈な感情を、

 ――情動

 と呼んでいるに過ぎないのかもしれない――

 というように――

 

 ……

 

 ……

 

 もし、そうであるならば――

 

 2020年9月24日の『道草日記』で述べた、

 ――感情の分布図

 についても、大きく見直す必要がありそうです。

 

 どのように見直すのがよいでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 続きは、あす――