マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自然知能における「作動」や「作用」とは何か

 自然知能について――

 その、

 ――原理体系

 をいくら眺めたところで、

 ――作動原理系

 と、

 ――作用原理系

 との差異を見出すことは不可能であろう――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ところで――

 

 きょうまでの『道草日記』で――

 僕は――

 自然知能における、

 ――作動原理系

 および、

 ――作用原理系

 について、具体的には述べてきませんでした。

 

 それぞれ――

 コンピュータ(computer)における、

 ――システム・ソフトウェア(system software)

 および、

 ――アプリケーション・ソフトウェア(application software)

 に相当をする概念としか述べていません。

 

 そもそも――

 自然知能のおける、

 ――作動

 や、

 ――作用

 とは何でしょうか。

 

 ――作動

 よりも、

 ――作用

 のほうが、いくらかは、わかりやすいでしょう。

 

 自然知能における、

 ――作用

 は大まかに2つに分かれる、と――

 僕は考えています。

 

 ――認知

 と、

 ――言動

 との2つです。

 

 ――認知

 は、少なくとも、

 ――知覚

 や、

 ――思考

 を含みます。

 

 また、

 ――言動

 は、少なくとも、

 ――発言

 や、

 ――行動

 を含みます。

 

 では、

 ――作動

 は、どうか――

 

 ……

 

 ……

 

 これが難しい――

 

 ひとまず、

 ――作動

 に該当をしそうな概念を思いつくままに挙げますと、

 ――意識

 ――感情

 ――意欲

 といったところでしょうか。

 

 ただし、

 ――意識

 や、

 ――感情

 については、注意が必要です。

 

 ――意識

 は、ふつう3つに分けて理解をされます。

 ――覚醒

 ――認知

 ――自我

 の3つです。

 

 ここでいう、

 ――認知

 は、

 ――気づくこと、知っていること

 といった意味であり、

 ――自我

 は、

 ――自意識、自我による自己の認知

 といった意味です。

 

 既述の通り、

 ――認知

 は、自然知能における、

 ――作用

 であり、

 ――自我

 も、自然知能における、

 ――作用

 であって――

 どちらも、自然知能における、

 ――作動

 ではない、と――

 僕は考えています。

 

 つまり、

 ――意識

 について、自然知能における、

 ――作動

 に含まれうるのは、

 ――覚醒

 のみである、と――

 僕は考えています。

 

 また、

 ――感情

 は、ふつう2つに分けて理解をされます。

 

 ――気分

 と、

 ――情動

 との2つです。

 

 ここでいう、

 ――情動

 とは、例えば、「歓喜」や「憤怒」などのような、

 ――外界の事象に反応をして発生をする感情

 といった意味です。

 

 外界の事象に反応をして発生をするのですから――

 この感情は、自然知能における、

 ――作動

 というよりは、

 ――作用

 に近いように思えます。

 

 つまり、

 ――感情

 について、自然知能における、

 ――作動

 に含まれうるのは、

 ――気分

 のみである、と――

 僕は考えています。

 

 以上をまとめると――

 以下のようになります。

 

 自然知能における、

 ――作動

 には――

 少なくとも、

 ――覚醒

 ――気分

 があり、

 ――作用

 には――

 少なくとも、

 ――知覚

 ――思考

 ――発言

 ――行動

 がある――