自然知能における、
――作動
には――
少なくとも、
――覚醒
――気分
があり、
――作用
には――
少なくとも、
――知覚
――思考
――発言
――行動
がある――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
述べましたが――
……
……
(自然知能の「作動」や「作用」の内実を具体的に指摘するのは、かなり難しい)
との思いを――
今の僕は新たにしています。
というのは――
――覚醒
も、
――気分
も――
あるいは、
――知覚
や、
――思考
や、
――発言
や、
――行動
も――
いずれも心の働きの要素です。
自然知能の要素ではない――
自然知能それ自体が、おそらくは心の働きの要素の一つないし要素の集合です。
よって――
自然知能における、
――作動
や、
――作用
の内実の記述には、
――覚醒
や、
――気分
や、
――知覚
や、
――思考
や、
――発言
や、
――行動
といった概念は適切ではないのかもしれません。
これらの概念とは別の次元ないし別の基準で分類をされている概念が――
適切なのかもしれません。
では――
その「別の次元」とか「別の基準」とは何か――
それが難しいのです。
簡単には答えにくい――
……
……
こうした疑問を踏まえた上で――
あえて考えを進めてみましょう。
もし、自然知能に「覚醒」や「気分」や「知覚」や「思考」や「発言」や「行動」といった概念が要素として含まれているとしたら――
同じ知能であるはずの人工知能にも、それら概念は要素として含まれているはずです。
つまり――
人工知能にとっての「覚醒」や「気分」や「知覚」や「思考」や「発言」や「行動」といった概念が、十分に成立をしうるはずである――
では――
それら概念は本当に成立をしうるのか――
あす以降――
このことを考えてみたいと思います。