――知能は合目的性や“定目的性”の感じられる営みや振る舞いを可能とするが、本能は合目的性の感じられる営みや振る舞いのみを可能とする。
ということを、おとといの『道草日記』から繰り返し述べています。
もう少し、すっきりとした述べ方をすれば、
――知能は合目的性と“定目的性”との両方をもたらすが、本能は合目的性のみしかもたらさない。
ということです。
ここでいう、
――合目的性
とは、
――何らかの目的に合致をしているようにみえること
という意味で、
――定目的性
とは、
――何らかの目的が設定をされたようにみえること
という意味です。
――定目的性
に引用符をつけているのは――
この言葉が僕の造語であるからです。
さて――
これらの概念に照らしたときに――
人工知能は、どのように説明をされるのがよいでしょうか。
あるいは――
人工知能に合目的性や“定目的性”は感じられるでしょうか。
……
……
まず――
少なくとも21世紀序盤の現代における人工知能についていえば、
――“定目的性”は感じられない。
といってよいでしょう。
人工知能が自分で新たな目的を定めているようには感じられません。
人が「プログラム(program)」という名の指令体系を組み上げることによって、目的が定まっています。
目的を定めているのは、人工知能それ自体ではなく、あくまでも人です。
では――
人工知能に合目的性は感じられるのか――
……
……
――感じられる場合と感じられない場合とがある。
といえます。
人工知能が、いかなる場合においても、合目的的に活動をしていることは疑いようがありません。
すべての人工知能に「プログラム」という名の指令体系が組み込まれている以上、合目的性を帯びていない人工知能などは存在をしないはずです。
にもかかわらず――
合目的性が感じられない人工知能は存在をします。
続きは、あす――