マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

知性 = 愚かさ × 賢さ

 ――知性

 とは、

 ――目的がわかっているらしいということ

 であり――

 それは、

 ――合目的性

 つまり、

 ――何らかの目的に合致をしているようにみえること

 である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ところで――

 

 ――知性

 という言葉は、

 ――賢さ

 と同義に用いられることがあります。

 

 この用法は、

(たぶん間違ってる)

 と僕は考えています。

 

 なぜ、そう考えるのかは、

 ――知能

 のことをよく考えれば、わかります。

 

 ――知能

 とは、

 ――知を働かせる能力

 であり、

 ――知

 とは、

 ――目的がわかるということ

 である――

 というのは、1月7日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 つまり、

 ――知能

 とは、

 ――目的がわかる能力

 ですね。

 

 その“目的”は――

 人であれば、自分で自在に定めることができます。

 

 ひょっとすると――

 人以外にも、そのような生物種は存在をしているかもしれません。

 

 が――

 その“目的”を自分では定めることができない――遺伝子の次元で既に定められているようにみえる――生物種というのは、昆虫の例を挙げるまでもなく、幅広くみられています。

 

 そのように、“目的”を自分で自在に定めているようにみえることを、

 ――定目的性

 と呼ぶことにしたのは――

 2022年12月25日の『道草日記』で述べました。

 

 この“定目的性”は、

 ――知能

 の十分条件です。

 必要必要条件ではありません。

 

 必要十分条件なのは、

 ――合目的性

 のほうです。

 

 それゆえに、

  合目的性 = 知性

 が成り立ちます。

 

 さて――

 

 ――愚かさ

 とは、

 ――知能が目的を成しえない様子

 である――

 ということは、1月2日の『道草日記』で述べました。

 

 この愚かさは、結果論でしかわからず、本当に愚かであるか否かの判断には長大な時間を要し、かつ、その判断は原理的に困難であることも多いので――

 結局は、愚かさと賢さとの区別は厳密には不可能である――

 ということは、1月4日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 つまり、

 ――愚かさと賢さとは表裏一体である。

 ということですね。

 

 よって、

  知性 = 賢さ

 は誤りなのです。

 

 正しくは、

  知性 = 愚かさ+賢さ

 でしょう。

 

 いえ――

 

 ――愚かさと賢さとは表裏一体

 ですから、

  知性 = 愚かさ+賢さ

 のような和の形ではなく、

  知性 = 愚かさ × 賢さ

 と積の形で表すのがよいでしょう。

 

 ――愚かさ

 と、

 ――賢さ

 とをまとめて、

 ――賢愚(けんぐ)

 といいます。

 

 つまり、

 ――知性

 とは、

 ――賢愚性

 のことです。