マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

知性の本質

 ――知能

 とは何でしょうか。

 

 それは――

 日本語で考える限り――

 明らかです。

 

 ――知を働かせる能力

 のことです。

 

 では、

 ――知

 とは何か――

 

 それは、

 ――わかるということ

 です。

 

 2022年12月25日以降の『道草日記』で

 ――知能には合目的性が感じられる

 ということを繰り返し述べてきました。

 

 これを踏まえれば、

 ――知

 とは、

 ――目的がわかるということ

 です。

 

 その“目的”には、知を働かせる主体によって定められるか、あるいは遺伝子の次元で既に定められているかの違いがあって――

 遺伝子の次元で既定をされているように感じられる知能については、特に「本能」と呼んで知能全般からは区別をするほうがよい、ということは――

 2022年12月25日以降の『道草日記』で繰り返し述べてきた通りです。

 

 さて――

 ここで新たな問いです。

 

 ――知能

 とは、

 ――知を働かせる能力

 であり、

 ――知

 とは、

 ――目的がわかるということ

 であるのならば、

 ――知性

 とは何か――

 

 ……

 

 ……

 

 ――知性

 は、しばしば、

 ――知能

 と混同をされます。

 

 これら2つの概念を――

 僕は厳密に分けたいと思います。

 

 これら2つの概念を分けることで――

 新たにみえてくることがある、と――

 

 ――知能

 が、

 ――知を働かせる能力

 であれば、

 ――知性

 とは何か――

 

 それは、

 ――知が働くこと

 です。

 

 ――知

 とは、

 ――目的がわかるということ

 ですから――

 

 ――知性

 とは、

 ――目的がわかっているらしいということ

 です。

 

 ほぼ、

 ――知

 と一緒です。

 

 ただし――

 この「目的がわかっているらしいということ」を――

 2022年12月25日以降の『道草日記』で――

 僕は別の言葉で表していました。

 

 ――合目的性

 です。

 

 ――知性の本質

 は、

 ――合目的性

 に他なりません。