マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

賢くも愚かな知性は生命進化の必然――

 ――知性

 とは、たんなる賢さのことではなく、

  知性 = 愚かさ × 賢さ

 の図式で表されるような概念である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 一方――

 1月8日の『道草日記』で述べた通り、

 ――知性

 とは、

 ――合目的性

 であるともいえます。

 

 つまり――

 賢くみえようと、愚かしくみえようと――

 とにかく何らかの目的に合致をしているようにみえること――

 それが、

 ――知性

 である――

 ということです。

 

 ここでいう“目的”とは――

 1月2日の『道草日記』で述べた通り、

 ――個の生存

 であったり、

 ――種の存続

 であったり、

 ――個や種の幸福の追求

 であったりするのですが――

 

 これら“目的”の全てに共通をしていることは、

 ――世界への働きかけ

 です。

 

 ――知性

 や、

 ――知能

 は世界に働きかけるために必要であり――

 

 何のために世界へ働きかけるのかといえば――

 第一には、

 ――個の生存

 や、

 ――種の存続

 であり――

 第二には、

 ――個や種の幸福の追求

 である――

 つまり、自分や自分たちの存在が許される場所を世界の中に見つけ出し、その場所で自分や自分たちが少しでも快適に過ごせる方法を見つけ出すためです。

 

 そのような場所や方法を見つけ出すためには――

 様々な試行錯誤を延々と繰り返す必要があったでしょう。

 

 賢そうな見つけ方だけを選り好みしている余裕はなかったはずです。

 ときには愚かそうな見つけ方も選んでみる必要があったはず――

 

 そのような生命進化の過程において――

 知性が――愚かさと賢さとが混在をしている知性が――少しずつ育まれていったものと考えられます。

 

 賢くも愚かな知性は、生命進化の偶然ではなく、必然であったに違いありません。