知性 = 愚かさ × 賢さ
の図式からいえることは――
愚かさがゼロに近づけば――たとえ、どんなに賢さが大きかったとしても――知性はゼロに近づく、ということである――
ということを、1月10日の『道草日記』で述べました。
つまり――
賢さだけでは、
――知性
とはいえず、ある程度の愚かさを伴って始めて、
――知性
といえる――
ということです。
当然のことながら――
愚かさだけでも、
――知性
とはいえず、ある程度の賢さを伴う必要がある――
ということになります。
ここで注目をするべきは――
ある程度の賢さを伴ってさえいれば――
たとえ愚かさが甚だしかったとしても――
むしろ、
――知性は高い。
といえる――
ということです。
それは――
人の歴史を振り返ってみると――
当然の示唆といえます。
3,000 年という決して短くはない有史期間において――
ごく少数の人々による“愚考”――しばしば、たった一人の権力者による“愚行”――が歴史を大きく動かしてきました。
それら“愚行”の中には「真に愚か」としか形容のしようがない蛮行も数多く含まれるのですが――
そのような蛮行ばかりではないのですね。
例えば――
10年余りにわたる戦役を経て、ギリシャからオリエントにかけての諸国家を統べ合わせることで、巨大な国家を造り上げましたが――
その国家が、あまりにも巨大であったために、恒常的な統治機構を築き上げられず、短期で瓦解をさせてしまった、という意味では――
愚かです。
一方で――
ギリシャからオリエントにかけての諸国家が統べ合わされ、一時的にせよ国家間の垣根が取り払われたことによって、個々の文化が融合をし、新たな文化が誕生をし、人の文明の発展に寄与をしえたことは、歴史家の多くが認めるところです。
その意味では――
アレクサンドロス3世は賢かった――
この王に高い知性が備わっていたことは疑いようもありません。